宮台本を読め。

いい加減その適当発言が鼻につきはじめた宮台だが、その著作を読むのは結構面白いのでお勧めする。ただし、小説や雑談の類だとわきまえて読まなくてはならない。現実に適用できる話だと思って読むと心理的におかしくなってしまうので要注意。

この本は宮台信者だったリア充少年が自殺した意味について語る本で、別に自殺自体は宮台のせいではないのだが、重要なのは「宮台の理屈を完璧に理解して実践しても役に立たない。」という実例があることである。
というかむしろ、「宮台の考え方を取り込むとリア充ですら欝になって死ぬ。」ということであり、最近は言わなくなったが以前は宮台自身が「自分は欝だ」と発言していたくらいなので、「自分ですら欝になる発想を他人にお勧めするのはいかがなものか」と良識ある一般人なら当然考えるのだが、人前で適当な発言をして名を売ることも厭わないナルシストはそういった矛盾は気にしない。
宮台は常に「社会問題に処方箋を与える役」としてメディアで適当発言を繰り返しているわけだが、自分が奇異に思うのは「どうしてそう何でもかんでもわかるフリをするのか。」ということである。常識的に考えて、あそこまで広範な専門分野について的確に語れる人間がいるとは思えない。実際、宮台の金融政策に対する発言は論外な代物である。各分野に詳しい人々が集まって、宮台がこれまでに為した各分野に対する発言内容を検討したら恐らく間違いやデマが続々と発見されるはずである。(仏教の解説をしていたこともあったが、まるでデタラメな思いつきをしゃべくっていたものである。)
また、「宮台が提示した各種の『処方箋』はことごとく役に立たない。」という認識を持つのも重要である。
その一番の例がゆとり教育であり、世間では寺脇研ばかりが批判されているが、共にテレビ出演するなどしてゆとり教育の「正当性」を広めるのに最も機能したのは宮台がナンパで鍛えたらしいその話術であった。ETV特集アーカイブがどこかにあるなら、その証拠を見ることができるだろう。
もともと宮台は「ブルセラ社会学者」として世に出て、オウム事件でひとくさりしゃべくったことで、どういうわけか社会的地位を確立したわけだが、この辺のこの時期の宮台の言説には、それが齎すイメージや雰囲気に輝きがあり、いとうせいこう原作の「ノーライフキング」という映画をどことなく連想させる。まぁこれは自分の勝手な連想であって、単に市川準が好きだということかもしれんが。
制服少女たちの選択―After 10 Years (朝日文庫)

制服少女たちの選択―After 10 Years (朝日文庫)

ノーライフキング (河出文庫)

ノーライフキング (河出文庫)

この辺の初期の著作を改めて読む意味は2つある。
まずブルセラ本はその当時、「むしろブルセラ売春を流行らせた」という事実と付き合わせて読むことが大事だ。あの頃の事情は今考えると本当に凄かった。まだ規制が緩かったころなので、「まるで愛人のような風情の制服姿の女子高生がサラリーマンとホテルから堂々と出てくる」という写真や映像が、雑誌やテレビにどかどか出ていたくらいで、マジでキチガイ沙汰であった。
そういった沙汰を宮台は肯定しておった、「これこそこれからの女子の姿」くらいに論じておったということが、当時の本を読むとおさえられる。
しかし、宮台がブルセラについてメディアを通じて大騒ぎしたせいで当然それは問題視されるようになって規制が強まり、現在のように援交問題が地下に潜行するようになった。ある種の人々からは「あの馬鹿があんな大騒ぎをしなければこんなに『こじれ』なかった。」と批判される理由がここにある。社会を「より悪く」しながら自分だけ出世して得をするという宮台の行動原理の原点である。
2つめの意義は、ブルセラ本やオウム本の内容を読めば、「宮台はその時々で主張やスタンスをコロコロと変える。」ということが理解できる点である。
何を根拠にしているのかしらないが、何を語るにしても宮台は自信たっぷりに、肩書きをちらつかせながら巧妙にしゃべくるので、事情をよく知らない人はよく知らないままになんとなくイメージ的に、或いは感情的に、或いはストーリー的に納得してしまうのである。実はそれは納得ではないのだが、当人は「自分は納得した。」と錯覚する。
が、そのように「納得」した人にとってはいい面の皮だが、宮台自身は初期に主張していたことをほとんど放棄している。公的な発言でも、プライベートでの生き方でも、「売春する中高生こそ素晴らしい」とか「砂を噛むような終りなき日常をそのまま生きろや」といった放言とは真逆の生態を示すようになっている。当時の信者はどう思っているのだろう。
また、「読む意味」とまでは言わないが、背景がいろいろわかるので宮台ウォッチする際の参考知識が身につくのである意味面白くなる。
宮台の師匠が小室直樹だということは割と知られているが、私を含めて大抵の人は小室を奇人変人の類だと思っているので、宮台の対談本の中で小室の発言を読むと意外に常識的なので驚く。
宮台がブルセラ学者として一世を風靡していたころには当然のことながら、「宮台は取材対象の女子高生と寝ている」という中傷があったらしい。心ない中傷である。
そのことについて対談本の中で小室が、「学者が研究対象のネズミに私的な関心を抱くわけがなかろう」という比喩によるフォローをしていて、宮台は単に「ハッハッハ」と笑っているという場面が出てくるのだが、弟子をそれとなくかばってくれる人間味がそこでは示されており、自分の勝手な思い込みでは「小室なら『別に構わんじゃないか』と言うのではないか」と考えていたので非常に予想外であった。
比喩は比喩に過ぎないので事実がどうであるかはよくわからないのだが、よくわからないのに中傷するのは良くないことである。
野獣系でいこう!! (朝日文庫)

野獣系でいこう!! (朝日文庫)

確かこの本だったと思うが凄い表紙である。
小室直樹に関連して言えば、宮台はあの副島隆彦と同門である。
副島は事故直後の福島第1原発の目の前まで「潜入」し、日本のマスコミのだらしなさを満天下に知らしめた偉人であるが、
http://shohyoj.in/70
副島*1原発賛成派であり、「事故直後の福島で放射能を浴びても全く安全である」と断言しているので、ちょっと勘弁して欲しいというほどの人物でもあるのだが、副島は何故か常に凄い剣幕の人なので、毒舌で知られる宮台も副島と同席していると引き気味であるのが観察されて面白い。

ただまぁ、「小室直樹ノーベル賞に値した」なんてのはデタラメだけどね。

*1:「副島」と「福島」が字面上ややこしい。