古傷で衰弱死 アパートで20歳女性

古傷で衰弱死 アパートで20歳女性 茨城・龍ケ崎
産経新聞 1月4日(火)18時1分配信
 3日午後0時10分ごろ、茨城県龍ケ崎市小柴のアパートで無職女性(20)が死亡しているのが発見され、茨城県警竜ケ崎署が4日、司法解剖した結果、手足などの古傷が原因で衰弱死したことが判明した。

 同署によると、傷が長期間完治せず、抵抗力を失っていた可能性がある。傷ができた経緯などを調べている。


結婚できない男性が増えているせいか、「孤独な老後」とか「孤独死」というのが話題になることが目立ちますね。
それらのことに思いやりをもって問題にすることは良いことだと思います。孤独死への恐れは他人ごとではないので、共感をもってそういった記事を読みます。
ただ、この問題が例えば国や都道府県やNGOなどの力でどうにかするべき問題なのかというとなかなか難しい。
孤独になってしまうのは、その人のプライベートな生活が恵まれているかどうかに関わるので、そういったことにそれら機関が介入できるかどうか。
介入までいかなくとも、それら機関が人々に対し、他者と接することのできる場や機会を設けるということはできるかもしれません。
しかし、それらが利用されるかどうか。
いうまでもなく、現状でも学校・会社・サークル・民間同好会などさまざまな機会があるのにも関わらず孤独になる人は孤独になります。
そのような例をみて、「自己責任である」と断ずる向きが多いわけですが、私などは「そんな断定は早いし、分を超えている」と感じます。
誰がどんな資格でそんなクソ偉そうな裁きを言い渡すのか疑問であります。
上手くいっていない人を単に見下して優越感に浸りたいだけなんじゃないか。
マスコミに登場する「学者」のなかにもそういった話題で名を売る手合いがいますが、必要もないのに不幸な人を断罪するのは2ちゃんねらーとどこが違うのかと思います。
人が孤独になる理由を一般化できると考えている点が馬鹿です。
パターン化して物事を処理することに慣れている人は、そもそもある問題が一般化に馴染むのかどうかを考えずに一般化して失敗します。
そんなことだから過去の本に書いたことと、現在まるで矛盾した発言をしていると突っ込まれて言い訳に小難しい言葉を並べ立てるハメになるのです。
受験勉強とは違うのですから、根本を考える努力をしなくてはなりません。根本が自分にわかるのだろうかという留保を持つことも大事です。
しかしなまじ恵まれて生きてきたために、自分の判断に留保を加えることを知らない傲慢な人間が広く発言しています。
傲慢な人間は他人に共感したり、人の言う事を傾聴することを知りませんから、自分の手持ちの知識だけであらゆることを一般化してしまうので、結局そのような人間の言う事には意味がありません。
「充実した生活をしていれば充実した人生が送れるのです。」とか同語反復を堂々としゃべる阿保がマスコミには登場するので、その程度の低さには呆れてしまいます。
それがなかなか出来ないから問題視されているということくらいわからないのかと。