憲法改正は国民が直接決めること

憲法改正への反対意見を聞いていると、それらの人々の大半はほとんど必ず或る誤魔化しを述べます。
あたかも国会議員が憲法を変えてしまえるかのような主張です。
これは明らかに虚偽であって、間接民主制の世の中にあって、憲法改正は国民が直接に政治決定をする例外事項です。
私たちは普段、選挙によって代表者を選ぶだけですから、その代表者が公約通りに行動するかどうかコントロールすることができません。
民主党に典型的に表れたように、「やる」と言って当選したくせに、ほぼまったく約束を守らないということが議会ではかなり発生します。
それに対して私たちは選挙で落とす以外の責任の取らせ方ができません。
大抵の場合、国民は約束を破られたことを忘れて投票しますから、さんざん出任せをいって公費を詐取した政治家が何度も当選することになります。
愚かなことだとは思いますが、この場合には社会に損害が発生したことの責任を私たちが感じる必要はさほど有りません。
よく考えずに投票することへの罪は有りますが、実際に裏切っているのは政治家なのですから、直接の責任ではないです。
しかし憲法改正に関しては、改正の決定をするのは直接に私たちなのですから、バカな改正案に賛成して社会がおかしなことになっても、それは政治家のせいではなく、私達自身の責任であります。
愚かな決定をしたことによって国民が大量死するような事態に陥ったとしても、それは私たちが自分で自分の首を絞めて窒息死したのと同じことです。
日本国民は民主党政権などという最低最悪のものを生み出した前科がありますから、憲法改正でもお気楽にバカげた決定をする危険性は有るのですが、「国民がバカだから憲法改正は危険であり、やれません」というのでは、いつまで経っても近代化を果たせないままでしょう。
近代になってから、私たちはまだ一度も憲法改正をしたことがありません。
146年もの間、近代市民としては子供のままです。
自分たちで考えて、自分たちで決める、といった作業をいまだ未経験なのです。
こんな恥ずかしい状態のままで何時までも過ごして良い筈がないと思うのは、大人としてむしろ正常だと思うのですが。