謹賀新年2013

明けましておめでとうございます。
旧年中は世の中も私個人も安定と言えば安定、大過なく暮らすことができたのは2011年に比べれば悪くないことでした。
2013年を迎えるにあたって「希望に満ちてがんばろう」とか「よりよい成果を達成しよう」と言えれば良いのですが、特に私の関心事である経済問題について、常識的に予測するなら、大して良いことはないだろう、進展は無いまま失われた20何年目になるだろうという、盛り上がらない年初となっております。

参議院選

夏の参議院選を前に、いくら微妙な自民党政権でも多少の金融政策はやらせるはずなので、株価や為替レートの幾分かの好転はあるでしょうし、財政政策は大量にうつ筈なので、その恩恵を受ける特定の人々は「今年はいい年だ!」と笑顔になることでしょう。
ただ、選挙で約束されたような「大胆な金融緩和」とか「(実効性ある)インフレ目標」といったものは相当に怪しい情勢となっています。
デフレ脱却のためには財政政策や産業政策を中心に据えてしまったのでは絶対に駄目なのであって、これは「金融政策固着派」といった偏向なのではなく、デフレは貨幣的現象なのであり、それを否定できる見解を示せている人はいないのですから、デフレ脱却には金融政策を中心に考えなくてはならないのは当然のことなのです。
しかし、その辺がごまかされ始めているのですから、これはデフレ脱却の意思が日本の指導層の中で有力ではないということを示しています。
すなわち2013年どころか、今後もずっと、その認識が続く限りはデフレ脱却はできず、日本は衰退を継続することになるだろうというのが常識的な推論になります。

安倍政権はどうなるか

人事を見ていて「これはどういうことなのだろう」という疑問が最初から湧き上がった安倍政権についてですが、デフレ脱却という意味で、あの人事では、これまた常識的に考えると達成は困難です。
財務大臣内閣府特命担当大臣(金融担当)になった麻生太郎氏は従来から金融政策に否定的な人物で、安倍政権がはじまって早々に金融政策の活用に否定的な発言を繰り返しています。
また、経済財政諮問会議の人事でも麻生氏がデフレ脱却に積極的な人物の登用を阻んだという噂があります。

こういう記事があると「国賊・竹中を阻んだ麻生最高!」という反応を示す「俺たちの麻生」派の人たちが出てくるのですが、反小泉・反TPP・反郵政民営化に共通する問題ですが、根拠をもって判断するようにしましょう。
「竹中国賊」でも良いのですが、どの辺が、が問題になります。
日銀総裁人事についても「学者はダメだ」といった、反知性主義にとりつかれた人々の支持を取り付けられそうなことを言っており、まともな人達は「バーナンキもキングもドラギも学者なんだけど」と呆れているわけですが、このへんにも財務省と宜しくやっていれば良いという考えが見て取れます。
麻生氏は選挙では「日銀に金融緩和させる」と言っていたので考えが変わったのかとも思いましたが、閣僚になってみるとやっぱり元の通りでした。
これを麻生氏の裏切りととるのか、安倍氏の不明ととるのか、ご両人ともデフレ脱却に関心が無いととるのが良いのかわかりません。
もし安倍氏がデフレ脱却に本気である場合、参議院選挙に向けて失脚させられるでしょう。この人事、体制、マスコミとの協力関係ならそれができます。
参議院選挙前に歴史認識・外交関係・憲法問題・基地問題オスプレイなどなど、安倍氏を攻撃する材料には事欠きません。
また、自民党衆議院公明党と組んで3分の2を持っているので、参議院選挙で負けるように仕向けて安倍氏を辞任させても良いのです。それでも3年間は増税でも何でも好きなように決定できます。
参議院選挙で負けさせるのは簡単で、日銀に金融緩和させなければ良いだけです。財政政策をうっても関係者が儲かるだけで大した波及はありませんから、為替レートが上がり、株価が下がり、元の木阿弥となります。
安倍氏の失脚とともに「アベノミクスは失敗」というレッテルをマスコミが貼り、リフレ政策は永久に埋葬されるということになります。
安倍氏がデフレ脱却派であるならば、今の人事をしてしまったのは痛恨事であり、取り返しの付かない失敗です。
安倍氏にとってデフレ脱却が方便に過ぎない場合、参議院選挙の前に、選挙で勝てる程度の金融緩和がなされ、財政政策と相まって経済は少し好転するでしょう。
その結果自民党が勝つと、今度は消費増税の条件を満たす程度の金融・財政政策が実施され、増税がなり、経済は大きな改善を見せること無く、ほどほどの停滞を継続することになるでしょう。
金融政策を上手く使うとこのパターン、すなわち、経済の小規模改善⇒選挙で勝利⇒増税⇒停滞の継続、を相当に長い期間に渡って繰り返すことができますから、日本国民は一億総茹でガエルになっていくことが予想されます。
そうしているうちに、どこかの段階で債務問題・社会保障問題がのっぴきならない事態となり、一般国民における多くの苦痛と死を引き起こしながら戦後体制が終焉し、何かしらの状態、それは良いものか悪いものか全く見当がつきませんが、そこに収斂していくことになるのでしょう。
太平洋戦争で起こったことの反復ですが、歴史を振り返ってみますとそのような破綻と変性をどの国でも何度も経験しているのですから、この国の歴史が終わらない限りは大したことでもないのかもしれません。歴史的に見ればね。
ただ、個人にとっては苦痛に満ちた生と死は一度限りの絶対的なものですから、そうやすやすと通過できるものでもありませんけれどもね。
インパールガダルカナル硫黄島であらゆる極度の苦痛を被って死んでいった、我々の父祖の姿の写真を、良い機会だからネット検索で見ておくと良いでしょう。
ああいう経験と本質的に似通った経験を今度は我々が、戦場ではなく社会において経験していくことになります。
ながーくね。