マスコミと政府の一心同体問題

マスコミは二言目には「我々は権力監視装置だ」といったスタイルを取りたがりますが、実態は真逆であって、官僚様から「よしよし」されて経営させて頂いている状態。
そこから生じる退廃が実に深刻な状態にあって、マスコミという「フィルター」が有るせいで真実を知る人と知らない人が社会の中で分断されてしまいます。
「メディア」どころか「フィルター」なのがマスコミの本質。
これで日本の景気がよく、社会に危機が迫っているのでもなく、周辺に脅威が無いのであれば軽蔑程度で済むことですが、ヘタをすると破綻と大混乱に見舞われかねない情勢が予見されている時代にマスコミの在り方は本当に憂慮されます。

半導体はともかく電機は金融緩和して円安にすれば「競争力」は上がるわけですが、このような政策をとるということは…ですね。

ネットの登場によって、今までは新聞やテレビの言うことを「へー。」と聞いていることしかできなかったのが、ネット上でのニュースへの「評価」が色々あることを知って、そのニュースへの見方を調整できる、ということだと思います。
確かにこれは良い変化ですが…。
しかしネットは多数派にはなれませんからね、せいぜい幾分かの「中和」にしかなれないでしょう。

口に無理やり押し込んでくるマスコミ

マスコミの強みの一つは、テレビなら一方的に広範囲に情報を送りつけることができることですし、新聞なら宅配していることです。
ネットは自分で情報を取りに行かなければいけませんが、マスコミを相手にしている場合、文字通りお茶の間まで情報を届けてくれ、しかもひっきりなしにそれが続くのですから、その飽和戦術の前にはネットは微力です。

政府に守られて情報とカネを寡占するマスコミ

テレビは新規参入を政府が阻んでくれることで、新聞は再販制度と特殊指定によって、それぞれ経営が守られています。
それによって高給が保証される故、マスコミは政府に尽くす動機を持ちます。
多くのカネがマスコミに保有される仕組みは、当然に多くの人々を惹き付けます。
カネに引き寄せられた魅力的な人士たちが芸能、言論を通じて人々を楽しませ、その誘引力によってマスコミ発の情報が人々に受け取られやすくなります。
多くの人々が華やかさを楽しむために集まり、楽しいマスコミからの情報を喜んで、優先して信じることを選びます。
この点でもネットは不利です。
ネットは多くのプレイヤーが自由に参加しているため、マスコミのように少数のプレイヤーがまとまったカネを持つということができません。
従って、その時代の中心になるような魅惑的な男女を惹き付けたり、豪華なコンテンツを振りまくことができません。
政府とマスコミが利害を強く共有し、民間の人士達もカネや地位、知名度といった価値で政府やマスコミと歩調を合わせるインセンティブを強烈に抱きます。
このような状況で、「マスコミの言うことは真実ではない。理論に違う。事実とも異なる。皆さん、マスコミを変えなくてはいけません。」と叫んでみても鼻で笑われるだけです。
正しいことを言う人間は、彼らになんの価値も提供しないからです。
カネもセックスも地位も名誉も、なーんにも提供できません。
人間はそんなつまらない側にはつきたくありませんから、人々の良識とやらにうったえてマスコミを改革しようとしても無理です。
政府とマスコミと民間名望家の皆さんは、それらの価値で結びついています。
具体的に言うとトラブルになりますが、政治家と誰それが云々、といった話はよく目にする話です。人間貨幣です。

案としてマスコミ改革は出せるが、実現はおそらく不可能

新聞であれば再販制度と特殊指定を廃止して、押し紙にもツッコミを入れることで今の不当に優遇された「経営」に打撃を与えることができますから、新聞を減らすことができるでしょう。
また、炭素税を導入した場合、新聞には結構な足かせになるかもしれません。これは計算などはしていないので、そんな印象があるというだけですが。
記者クラブ制度について、ああいうものに税金を費やすことを違法とすることも可能かもしれません。
テレビについては、電波使用料を欧米並みに払わせ、新規参入者を増やし、ケーブルテレビを振興する、といったことによって情報とカネの集中を分散させることができるかもしれません。
しかし、上に挙げたような改革案は全て、政治家や官僚が動かなければ出来ないことですし、彼らには動く動機がない、どころかむしろそんなことは損になるのでやりたくないことなのです。
つまり、仕組みが強く組み上がってしまうともう改革は不可能になるということなのでしょう。
太平洋戦争の敗戦時に木戸幸一は陸軍について、「敗戦でもしなければ、あの巨大な軍閥を解体することなど出来なかったであろう」と言ったそうですが、マスコミやら公務員やらの腐敗システムは多分改革できず、数十年後にとんでもない破綻を迎えることになるのだろうと思います。
2012年の年末は、日本の将来への悲観を強めて終わることになってしまいました。
まぁあとは個々人の生き方だけが残るというところでしょうか。
あれもこれもお釈迦様の目からご覧になったらどうでも良いことではあります。