新聞社がしつこく消費増税を訴える理由は?

特に毎日新聞は執拗に消費増税への支持を浸透させようとしている。

<消費税>8%時の使途 社会保障強化に1.4兆円 大半、制度維持に充当
毎日新聞 2月8日(水)9時31分配信
 税と社会保障の一体改革で、政府が14年4月に消費税率を8%に引き上げる際の使途の大枠が7日、わかった。子育て支援や在宅介護の充実など社会保障機能の強化には、増税分3%のうち0・5%分程度(1・3兆〜1・4兆円)を振り向ける。増税に伴う増収8兆円の大半は、高齢化に伴う社会保障の自然増や基礎年金国庫負担など、現行制度を維持するために使う。

消費増税をするべきだ、とした上で「新聞には低税率もしくは消費税の免除をするべきだ」と新聞は明示的に主張している。
まともな感覚でまっとうに考えるとおかしな話だ。

新聞の経済感覚

消費増税すると実際に人死にが出るのは橋本政権の失政によって観察されているが、文字通り死屍累々になっても新聞だけ生き残れたら良いというエゴ丸出しの姿勢は道義的に非難されるべきだが、それを脇においても不可解な主張をしていると思う。
表面的に見ると新聞は、他の産業が消費増税でダメージを被っても新聞は政府と上手いことやって低税率もしくは免除を勝ち取って生き残る、という腹積もりでいるように見える。
私は新聞を読むほど暇ではないので購読料については余りよく知らないのだが、4000円くらいであるらしい。(昔は新聞の押し売りがよく来たものだなぁ)
4000円の購読料で消費税が5%から8%に増えても差額はたった120円である。また5%が0%になっても差額は200円でしかない。新聞が本当に価値あるものなら、月に120円や200円で購読者数が変わるとは思えない。新聞そのものの消費税率が幾らかなんてのはどうでも良い話だということがわかる。
いくら新聞でもこのような計算が出来ない筈がないので、新聞関係者なら誰もが私と同じように思っている筈だ。(そう思いたい。しかし昨今の日本の状況を見ていると本当に勘違いしているエリート様がいそうで恐ろしい。)
消費税が新聞にダメージを与えるとしたら、新聞自身が没却している状況、つまり人々の消費が冷えることこそが影響するはずなのだ。
消費税が8%に上がると、新聞のような安価な商品よりも値段の高いもの、例えば2年に一度はパソコンを更新するとか趣味的に車を買い換えるとか、そのような部分に影響が大きい。
新聞なら120円上がるだけだが、2年に一度10万円かけて速いパソコンを購入したいという人にとっては3000円も値段が違ってしまう。トータルで見れば新聞の値上がりだって2年で同じくらいなのだが(2880円)、印象が違う。買う時に3000円値上がりしていることの腹立たしさは24ヶ月分掛け算してみたら同じでした、ということとは同じではない。
2年に一度パソコンを買い換えるのは大事な楽しみだから続けたいが、消費増税による腹立たしい負担感を避けたいと思えば人々は普段の生活費の中で削れるものを削ってカネを捻出したいと思う。「さぁどこを削ろうか」という検討モードに入った時に候補に上がりやすいのは最近の状況を見れば新聞である。
何故なら新聞記事はパソコンやスマフォで無料で読めるからである。もともと新聞を毎日まるごと読むような奇特で暇な人はほとんどいない。大半の人は4000円払って新聞の一部しか利用していない。利用度が低い。
そして新聞には読むしか使い途が無いが、スマフォは勿論読む以外にも様々な利用法がある。
同じように4000円かけて新聞を取るのとスマフォを維持するのと天秤にかけた場合、スマフォを取るのは合理的だ。新聞はスマフォを兼ねないがスマフォは新聞を兼ねる。
新聞は生活必需品ではないし、利用価値や娯楽性においても相当に分が悪い時代に入っている。人々が生活に使えるカネが減った場合、他の物事にカネを回すために削る対象にされやすくなっているのが新聞なのである。部数が減れば新聞の主たる収入源である広告収入に大きなマイナスが生じる。
つまり、新聞が気にするべきなのは新聞に対する課税が幾らかということではなく多くの一般人やその他の企業と同じく、消費増税がもたらす消費の落ち込み=経済の落ち込みそのものである筈で、本来なら消費増税に反対することが新聞の利益である筈だ。しかし、どういうわけか逆のことを盛んに唱道しているのである。
これが公務員ならわかる。国は税金を強制的にとる権限を有しているから、税として集めたカネをうまく吸い上げる仕組みを合法的に作れる立場であるなら、経済がどうなろうと知ったことではないだろう。
しかし新聞は民間企業である。景気が悪くなれば必ず影響を被るものであり、自分たちだけ安泰でいられるわけがない存在である筈なのだ。
それにも関わらず、新聞はあたかも自分たちだけは安全地帯にいられるかのように振る舞う。奇妙なことである。

新聞救済の密約

上記のように常識的に考えると自明であるような間違いを新聞が非常に落ち着いて繰り返し主張しているのを見ていると、その自信の根拠が既に確保されているのではないかという気がしてならない。
毎日新聞のOBが以前主張していたように、「新聞は社会を健全に保つために公益的な存在であるから公金で養う。」という密約があるのではないか、ということである。
どんな酷い経営状況になっても国からカネが出て支えてもらえるなら景気がどうなろうが知ったことではなかろう。公務員同様に中下流日本国民から収奪して、日本国が破綻するまで安穏としていられる。逃げ切れるかどうかだけが問題のチキンゲームだ。
新聞は日銀や政府といった公権力に協力できるという、普通の企業には無い特性を活かして公権力から特権を付与してもらうという道を選んだのではないか。
どれだけ社会がダメージを受けようと、人々が苦しもうと、死なざるを得ないような人たちが発生したとしても、自分たちが標榜している使命、「第四権力として公権力を監視する」を捨てて上流階級でいたいという誘惑に負けたのではないか。
この推測が当たっているなら本当に暗澹たる事態で、日本は頭から腐れて地に墜ちていってしまうだろうと思う。