不作為する不思議。

「年20ミリSv」撤回を〜福島の保護者ら
< 2011年5月23日 16:04 >日本テレビ
 福島県の保護者らでつくる団体が23日、学校での屋外活動における「年間20ミリシーベルト」という子供の放射線量の基準値を撤回するよう文科省に求めた。

訴えに対してまともに対応しなかったそうなので、政府にとってもまずいと思うのですが。
「100ミリシーベルト未満だと健康には影響がない。」という言説もなされるようになっていますが、これは「その辺は研究が進んでいない。」ということだそうです。
ということはつまり現状は人類史上初の不特定多数の継続的大量被曝という事態なわけで、「今回の結果によって知見が深まる。」という実験観察状態になっているのです。
もしかしたら健康被害は出ないのかもしれません。そうなって欲しいと思います。
しかしもし子供の間にガンなどが不自然に増加することになったら政府はどれほど恨まれることになるかわかりません。
今後の福島の世代は一生、つまり50年〜70年くらい恨み続けるだろうし次の世代にも語り継ぐことでしょう。
福島全体が日本政府を信用しない一大拠点と化してしまう可能性もあります。
これは日本にとって非常に大きな政治不安定につながるとごく常識的に思うのですが、政府は多くの人から強く憎悪されるようなことをよく平気でやれるもんだと思います。
もしかしたらこういうことをしたら恨まれるという自覚がないのかしら?
それもありうることです。苦労しないで上手くいっている人は「嫌われるようなことをしたら嫌われる。」という当たり前のことがわからず傍若無人に振舞うものですから。
あるいは費用の問題を政府は心配しているのかもしれません。基準を緩めたことが間違いだと認めたら賠償しなければならないと懸念しているのか、あるいは子供たちを疎開させるお金を捻出できないと考えているのか。
「責任を本来追及されるべきなんだけどそれを言っていると当面の問題がこじれてしまう。」という性質は今回の原発事故のさまざまな局面で表れています。
責任をおいたくないものだから隠蔽と否定を当事者が繰り返し、それを周囲が追いかけている間に事態が悪化するというものです。
難しいところですが、福島の子供たちをとにかく避難させることが必要だと私は思います。
この際は政府の判断ミスへの責任追及は不問とし、疎開を実現するよう働きかけるべきではないでしょうか。
疎開に必要な費用はのちのち東電(と、東電が倒産したらその後を引き受ける新会社)に政府が求償したらいいじゃないですか。
東電はもうすでに「賠償しきれません。」と泣きをいれている状況なので、どのみち公金で賠償を補ってやる必要が出ています。
であるなら疎開の費用も政府が立て替えれば良いだけの話です。
今東電が賠償金を賄いきれなくて政府に肩代わりしてもらうとしても、チャラにしてやる必要など毛頭ありません。20年でも30年でもかけて返させればいいだけです。
このように入用になっているお金は天文学的数字になっています。
東電は法的整理をし、可能なかぎりの資産を売却して国民への賠償と保護の費用とするべきです。