白川日銀総裁インタビュー、識者の見方(1)

ウォール・ストリート・ジャーナルです。
この記事の(2)には擁護的な意見が多いので、そういうのも視野に入れる場合はリンク先をどうぞ。
私は擁護しないので(1)だけ紹介しますw

日銀に説明義務はないのか?

カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・環太平洋研究大学院の星岳雄教授


前略


日銀の評価はこのような事実に基づいて行わなければならない。もし、日銀が白川総裁のインタビュー記事にみられるような自画自賛を続けるつもりなら、次の二つの質問に明快な解答を示す必要がある。


1.「13年以上もの長期を考えるならインフレの主因は金融政策である」という命題を受け入れるか否か?この命題は先進国の中央銀行ならどこでも受け入れているものだと考えられる。もし、日銀がこの命題を受け入れないのであれば、それに代わる長期インフレ率に関する理論が必要である。


2.政府は独立した中央銀行が目標を達成できない状態を何年くらい容認すべきなのか?日銀が物価安定目標の未達成について何も説明義務がないようなそぶりをするなら、その独立性が脅かされてしまうのも仕方ないのではあるまいか。


デフレは「貨幣的現象」にほかならない


総裁のインタービュー記事は、わたしには不思議とか言いようのない日銀の金融政策の背景が何かを知るのに有益だった。


第一に、最近の日本経済のマクロパフォーマンスは、先進国、中堅国、途上国を含めた世界最悪に近いといってよいだろう。成長率でみても、過剰設備の大きさでみても各国に遅れている。日本の鉱工業生産にいたっては、リーマン・ショック以降、米、英、ユーロ圏本国よりはるかに大きな落ち込みを体験している。火の粉が降りかかってきた日本のほうが、火の粉を発生させた国より大きく傷ついたのだ。


インタビューでの第一の質問は、「白川総裁は間違いをしていないのか」だった。とんでもない、間違いの連続だった。諸先進国の中央銀行はリーマン危機に対して包括的量的緩和で答えたのに、日本銀行は黙視を続けた。そして円の実効実質為替レートは30%近く跳ね上がった。近頃総裁は「包括的量的緩和」の意味がようやくわかったような講演をしているが、日本銀行のやる量的緩和は、「あまりにも小さく、あまりに遅い」ものだった。その証拠に、デフレや超円高が続いている。


後略


インフレ目標を導入すべき


デフレは日本銀行の金融政策のせいである。白川総裁は「量的緩和にはデフレ脱却の効果はなかった」というが、予想インフレ率は量的緩和開始以降上昇し、量的緩和が解除された2006年3月には、1%まで上昇していた。予想インフレ率は量的緩和が解除されると低下し始め、白川氏が総裁になってから4カ月後には0%まで低下し、リーマン・ショック以後はマイナスである。


2004年以降の回帰分析によれば、量的緩和により日本の予想インフレ率が1%ポイント上がると、円はドルに対して11円安くなり、日経平均株価は1000円上昇し、予想実質金利も低下する。これらの効果によりデフレから脱却できる。白川総裁は「生産性の低下がデフレをもたらしている」というが、日本よりも生産性の高い国も低い国もインフレであり、デフレと生産性低下とは関係がない。


インフレ目標を採用し、量的緩和を進めれば、デフレを脱却できるのである。


遅れたデフレ対策

      • 法政大学大学院の小峰隆夫教授


前略


まず、金融政策の評価については、私は、日本銀行が、デフレ対策として革新的な金融政策を世界に先駆けて実施してきたといいう点については、白川総裁に同意する。しかし私は、日本の金融政策が、非伝統的な分野にどんどん踏み込んでいったのは、その前の時期に金融政策の対応が不適切であったことによって、そうせざるを得なかったからだと考えている。


不適切な対応だったと考えるのは次の三つである。第一は、85年以降のバブルの発生期に金融を緩和し過ぎたことだが、この点は白川総裁も同意しているようだ。これは、資産価格の上昇を意識しなかったからではなく、円レートの上昇を意識しすぎたからだったと思われる。


第二は、バブルが崩壊してからの金融緩和が遅れたことだ。90年1月以降株価が下落してからも金融の引き締めは続き、緩和に転じたのは91年7月であった。緩和の理由も今から考えると見当はずれだった。資産価格の下落を恐れたのではなく、物価の上昇を防止するためだったのだから。


第三は、デフレ傾向が現われてから、デフレ防止のために金融を緩和するまでの遅れがあったことだ。現在、日本銀行は事実上、消費者物価1%を物価安定の目標としている。この基準に基づいて考えると、消費者物価は94年4月頃から1%以下の上昇率が続いていた。しかし、物価の下落を意識して金利を引き下げたのは、95年9月だった。その後も物価の下落が続いたが、追加的な緩和措置が取られたのは、98年9月であった。
もっと早くデフレに取り組んでいれば、世界に先駆けて革新的な金融政策を行う必要はなかったのかもしれない。


中略


まず、人口要因が影響するのは、需要か供給かという問題がある。私は、人口要因が経済を制約するのは、労働力、貯蓄などを通じた供給面だと考えているのだが、仮に、人口要因が需要面に現れるとしても、その影響は小さい。非常に単純に考えて、消費の増加率は、人口の伸びと一人当たり消費の伸びの和である。人口の伸びがマイナスになれば当然消費の伸びは低くなる。しかし、2011年2月に公表された2010年の国勢調査によると、2000年から2010年にかけてはむしろ人口は増えているのだから、この面では消費が停滞する理由にはならない。


生産年齢人口の減少が消費を減らしているという説もある。確かに、生産年齢人口は2000年から2010年にかけて年率平均で0.5%程度減少している。仮に、生産年齢人口だけが消費の主体だとすると、日本の消費は人口要因で0.5%減少する。これはかなり大きい。しかし、年少人口も老年人口の人も消費はゼロではないのだから、人口要因はせいぜい0.2〜0.3%であろう。これはそれほど大きいとは言えない。
私は、人口要因の影響は、需給ギャップが解消した将来の時点で、供給面から現れるものだと考えている。


http://jp.wsj.com/japanrealtime/2011/03/09/%E7%99%BD%E5%B7%9D%E6%97%A5%E9%8A%80%E7%B7%8F%E8%A3%81%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%80%81%E8%AD%98%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A6%8B%E6%96%B9%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89/