有機農業は倫理的に善か。

農業の根本は言うまでもなく人間を養うことです。
となると、様々な農法があって良いけれども基本的にそれは人々を養えるものでなくてはならないでしょう。
言い換えるならば農業は産業化できるものでなければならないということです。
確かに今の日本のように豊かになれば、個人或いは知り合いの範囲だけで分け合う「安全な」農業を趣味で行ったとしてもそれは自由です。
しかし、そのような農業が「善」であるという価値観を学校やマスコミが広範囲にばら蒔いていることは無責任であると思います。
現状の有機農業は大規模に産業化できるものではありません。
産業化できないものを「善」として、マスコミや教師が方方で人々に吹きこむ意図は何なのだろうと考えます。
人間の歴史は途上国なら今も、先進国でもたかだか100年ほど前まで飢餓と背中合わせの歴史です。その悲惨さを学んでいれば、食糧を確保することよりも趣味的な「安全性」や「美味さ」の方が重要である、などとは言えないでしょう。そんな思想のどこが「人間的」ですか。
自らを「人間的」であると殊更にアピールする人間ほど信用ならない者はいません。
戦後の数十年、購買力があったおかげではあるにせよ、私たちが飢えと無縁でいられたのはまさしく化学肥料と農薬まみれの農産物のおかげです。
それらがより安全性を高める必要があるものではあっても、それらは漸進的に改善されるべきものであって、全否定されるものではありません。
一部の趣味的な金持ちだけがアクセスできる有機農産物を「善」としてスタンダードにして、一般の人々を養うだけの安定した食糧事情を実現できないのであれば、そんな農法のどこに価値があるのか全然わかりません。
繰り返しますが、それを趣味としてやるなら結構。花や水草の園芸と同じで楽しんでやれば良いでしょう。しかしそんなものは世間一般に価値を認めるべきものではありません。
その意味で、今の学校教科書で有機農法を礼賛して、生徒たちが農薬を全否定するべき毒物の如く考えているのは愚劣そのものです。そういったつまらん思考を支えるエネルギーは農薬まみれの農産物によって得ているという自覚がない。子供たちをそのような馬鹿げた増長慢に陥らせるのは偏った思想が好きな大人のせいなんですけどね。
というか、有機農業が安全性と収穫量を両立させたのが本当であるのならばそれは何回めだかの農業革命になる筈で、一部メディアであたかもブームを煽るような形でだけ持て囃されているのは不自然です。
もし多くの人間を養いうる有機農法が確立されたのであるなら、それは一刻も早くFAOに報告して、無償で世界中に方法論を提供するべきでしょう。あたかもWWWの如く。
昨今の無肥料・無農薬番組・本のブームが「変わったことを言って目立ち、一時の利益を貪る」意図の、胡散臭いものでないならすぐそうすべきです。
もちろん、UFOの発見についてはNASAに報告してあげると良いのですけどね。