<ノーベル賞授賞式>感謝と謙虚な気持ちで…米大統領演説


良い内容だと思うなあ。

ノーベル賞授賞式>感謝と謙虚な気持ちで…米大統領演説

12月11日0時23分配信 毎日新聞

オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説(10日)の要旨は次の通り。

 深い感謝とともに、謙虚な気持ちでこの名誉を受けたい。この賞は、私たちの最も崇高な願いを表現している。世界は残虐さや困難に満ちているが、私たちはこれを運命として受け入れることはない。正義を実現するために行動し、歴史を変えることは可能だ。

 しかし、私の受賞が、多くの議論を巻き起こしたことは認めざるをえない。一つには、世界のために私は働き始めたばかりで、何かをなしとげたわけではない。シュバイツァー博士、キング牧師、マーシャル国務長官マンデラ大統領ら、過去に受賞した歴史上の巨人たちに比べ、私の実績は小さなものだ。そして正義を追求したために、投獄され暴力を受けた人々が世界中にいる。苦しむ人々のために人道団体で働き、勇気と情熱をもって働く多くの無名の人々がいる。この人たちこそが受賞にふさわしいという議論に、私は反論できない。

 そして最も議論を呼んだのが、私が、二つの戦争を戦う米軍の最高司令官である事実だ。そのうち一つは、終わりに近づいている。一つは、米国が望んだ戦争ではなかった。しかし自国や仲間がさらなる攻撃にさらされないよう、ノルウェーを含む43カ国が米国とともに戦っている。

 戦争をしているのは事実だ。何千人もの米国の若者を、母国から遠く離れた戦場に送り込んでいる。彼らの中には、殺し、殺される者がいる。私はここに立ちながらも、戦争が伴う犠牲を強く意識している。戦争と平和に関する、多くの難問で頭はいっぱいだ。

 これは新しい問題ではない。人類の登場とともに戦争はあった。

 キング牧師が言うように暴力は恒久的な平和をもたらさない。だが、間違わないでほしい。非暴力ではヒトラーを止めることはできず、国際テロ組織アルカイダに武器を置かせることはできない。

 力は時には必要だ。だがそれは必ずしも冷笑主義につながらない。これが歴史を認識することであり、人類の不完全さ、理性の限界でもある。

 私たちがどんなに過ちを犯しても、明らかな事実は、米国は60年以上、国民の血と強大な軍によって国際的な安全を引き受けてきたということだ。制服を着た男女の軍務と犠牲が、ドイツや朝鮮半島の平和と繁栄を後押しし、バルカンのような地にも民主主義を実現できた。我々の意思を課すためにこれらの重荷を背負ったのではない。自分たちの利益のためにしたのではなく、子や孫への素晴らしい未来を追求したためであり、もし他国の人の子や孫が自由に、繁栄して生きられるなら彼らもきっと良くなるだろうと信じた。

 そう、戦争のための道具は平和を維持するための役割を果たした。しかしこの真実は、どれほどに正当化されても、戦争は悲劇を招くという真実と共存しなければならない。兵士の勇気と犠牲は栄光に満ち、国、大義、同僚兵士への献身を表している。しかし戦争自体は決して栄光のものではなく、そのように声高に言うことはできない。

 私は人々に言論の自由、信仰の自由が保障されず、おびえずに選挙や集会に参加できないところに安定した平和はないと信じる。人々の抑圧された不満がたまり、民族と宗教のアイデンティティーへの抑圧が暴力を生む。米国は民主主義国家と戦争をしたことはなく、私たちの友人たちはみな人権を尊重している。米国の国益も、また世界の利益も(自由を求める)人類の希望の否定によってもたらされはしないのだ。

 各国の独特な文化や伝統を尊重しつつも、米国は普遍的な希望を叫び続ける。(ミャンマーの)アウンサンスーチー氏のような静かで威厳に満ちた改革者や、暴力を恐れずに投票したジンバブエの国民、イランの街を静かにデモをした数十万人の人々の側の証人となる。これはこうした国々の指導者たちが他国の力よりも、自国民の志を恐れるということを示している。そして、希望と歴史は彼らの側にあると明確にすることが、すべての自由な人々、そして自由な国家の義務である。

 これも言わせてほしい。人権の促進は単なる説教ではない。時には、骨の折れる外交を伴う。抑圧的な体制に関与することは、心からの憤りを静めるものにはならない。しかし、手を差し伸べないままに制裁を加えたり、話し合いなしに非難することだけでは、機能不全のままの現状維持が続くだけである。いかなる抑圧体制もドアを開くという選択肢がなければ、新しい道へと進むことができない。

 (中国では)文化大革命の恐怖の中で、ニクソン大統領が毛沢東氏と会うことはもってのほかの出来事だった。しかし、確かにそれによって中国は数百万人の市民が貧困から抜け出し、開かれた社会との接点を持つことができた。

日本のように空想的な平和主義が蔓延しちゃってる国ではよく読まれるべき演説だと思います。
念仏みたいに平和を唱えていると平和でいられると子供を洗脳するアホが大勢いますから。