喪男という

言葉を最近知ったのですけど。
掲示板やブログで、「喪男」と自らを規定する人たちの話し合いを読んだりしています。
そこでは女性にもてないという話題を中心に愚痴りあうという様式が確立されていて、少しでも慰めたり励ましたりするような意見があると、物凄いネガティブな波動の篭った反応が返されていました。
自分自身の境遇は彼らと似たり寄ったりなんですけど、それでも自分を「喪男」と規定しないのは、自分の人生への解釈やら対処やらが違うからだなあと思いました。
ネガティブになりがちな人に対してはポジティブなストロークをあげるべきなんでしょうけど、彼らの会話を読み進めていて、「それは無用のことかな」と思いました。
境遇を同じくするもの同士で傷を舐め合うコミュニケーションの場にポジティブな励ましや叱咤を持ち込むと、彼らのコミュニケーションの邪魔になるだろうと思ったからです。
あの手の問題は根本的に他人には解決してやれることではないし、自分の運命に対してどんな反応を示すのも、その人の自由なのですから、元々アドバイスなどしてやることはないのですよね。
喪男的コミュニケーションが発表されるのは恐らくは「わかる人にはわかってほしいし、似た境遇の人は集まってほしい」ということなんだろうと思います。
とすると、喪男でない人はそれをただ読めばいいだけなんだと思います。
読んでいて共感はできませんけど、面白くはありますし。
話を紛糾させるためにたまに燃料投下したりして。
彼らの考え方に賛成できなければ別の所で書けばよいのですから。