学校内身分制度
近頃は「スクール・カースト」という造語ができたそうで、これは言い得て妙だなと思いました。
ああ、あったあったそういうの、と膝を打つ感じ。
ただ、スクール・カーストの影響が社会人になってからも永続するという風に一般化している向きがあって、それには疑問ですけれども。
スクール・カーストで下位に位置づけられた人が学ぶのは人間社会の負の実相でして、それを知るのは良いことですよ。
他人に無駄な幻想を抱かないことは大人として大事だし、もっと踏み込むと生きていくには逆にある種の幻想を作り出して抱くべきだな、ということもわかりますし。社会の運営にも幻想は必要ですしね。
学生時代に踏みつけられた人は、世の中でどういう能力を身につけると居場所が確保できるかを具体的に考えることが大事であって、幸福な経験をすることを望むべきじゃないです。
外から降ってくる幸福っていうのはありますし、それに恵まれた人は幸運ではありますけれども、それは文字通り「恵み」なのですから、渇望して生きるのはちょっと的外れかも。
自分一人でいるときに何を望んでいるか、どういう居方が居心地がよいのか、ということに心を砕くべきで、努力は他人に向けてするのではなく、自分に向けてしましょう。
たとえば体を鍛えるのにも、「彼女をつくりたい」という動機でやったって別に良いのですが、「俺の体、よくなったな」と自分一人でナルシーになれる人の方が長続きしますよ。
自己満足は大事です。
楽しんで自己満足できる対象を探すのは結構大変なことで、探すこと自体に何年もかかるくらいですけれども、それが自立への道ですから、凹んでいるより色々なことにアンテナを向けることを勧めます。