ネッ図書館
久しぶりに図書館に行って思ったのは、当たり前のことですけど、「役に立つ本や面白い本がたくさんあるなあ」ということ。
必要があったらほとんど用が足せます。
逆に、必要を思いつくのが大変なくらい。つまり、自分に欠けている部分に思い至って、それを補うのに必要な本を探すのが難しいくらい。
大勢の人々の知性の発露というか圧力というか勢いというものに改めて思いをいたしました。
気になるのは、あんなにいい本が山ほどあるのに、本は嵩張るが故に置き場に困るということ。
だから人気のない本は閉架に置かれるようになるし、捨てられるものもあるのでしょう。
国会図書館なんかは全部の出版物を置いているとかいう話を聞いたことがありますが、本を置くために増築に次ぐ増築を凄いお金をかけてやるのですからねえ。
自分はマイナーなものに惹かれる性格なので特に気になるのですが、良い内容なのだけれども売れないから閉架に置かれたり、捨てられたり、出版社に絶版にされたりする「知」が大変にもったいないということです。
売り物なのですから仕方のないことですけれども。
キャベツや大根も作りすぎてしまったら、潰すしかないですよね。
値段が下がったら、作り手がダメージを受けてしまいますから。
「世の中には飢えている人もいるのに」と素朴な感情では思いますけれども、それらの人々に届ける術がないからどうにもならないことです。
ただ、本の場合、売れない本がいくらだぶついていても著作者にダメージを及ぼすことはありません。
その上、いくら少数であっても必要としている人に本の内容が届けば、野菜が身体の栄養になるような限定的な影響とは違って、「知」を受けた人が自分や世の中に広がりをもった影響を齎すことも考えられるわけで、惜しさ加減が段違いです。
ですから僕が考えるのは、売れなくなった本は売り物にするのをやめればいいと思うんですね。
儲かる創作物の著作権を大事にするのは理解できますが、売れない本はどうでもいいじゃないですか。
売れない本の「知」を閉架や絶版に死蔵するより、データ化してネットに出してしまえばいいと思います。著作者やその家族に許可をとって。
ネットに出したら人の目に触れる機会は相当に増えるわけで、その結果、商品価値が生まれて再び売り物になるかもしれませんし。
無限にある過去の売れない「知」をデータ化するのは勿論、奇特なボランティアの人々が無料でやればいいでしょう(笑)
中世の写本を作製していた修道僧のような変わった人は結構いると思います。