「アベノミクス第二ステージ:その可能性と課題」を読む

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若田部教授の著作は読まさせていただいているので批判するつもりはないのですし、教授は政策アドバイザーになっていらっしゃるので、現実的な「まとめ」を提言される立場なんだろうとは思いつつ、リフレ支持層から卒業したくなった私は、やはりつらつらと疑問を呈したくなってしまいます。
まぁ、アベノミクス第二章は粛々と進んでいくのでしょうし、最低賃金引き上げも実施されるのでしょうから現実にはなんの影響も及ぼせませんが、真理性をないがしろにするべきではない*1と思うので、書いてしまいます。

費税

私も消費税には反対なのですけれども、今回の論説に代表されるようなリフレ派の言説の弱さの一つとして、消費税の消費の影響にだけフォーカスをあてる、ということがあります。
消費増税以降、消費がぱっとしないのは事実ですし、2014年度のマイナス成長の原因は消費税だと思うのですが、その後おこったのは、緩やかな回復なんですよね。
GDPの変化しか見ない、というおかしな視点をリフレ派と支持層が持っているのですが、現在のGDPの額は、2013年と同じくらいにまで戻っています。
消費が回復しないのは確かなのですが、GDPそのものは回復しているのですよね。
ここに言及しないことに疑問を持ちます。

目GDP目標

この論説で紹介されている、名目GDP目標についての論文を読んでみようかな、と思ったのですが、ドルで有料であるとかメールアドレスの登録が必要であるとかで面倒になってやめました。
名目GDP目標に関心が持たれるのは良いことだなぁと思うのですが、安倍政権が本当に採用するかというと疑問です。
本気で採用する気があるなら、官庁やシンクタンクが出す日本語の論説がでると思うんですよね。
事前になんの研究もなく採用するというのは考えづらいです。
また、日本人は基本的に前例踏襲したがり、変化をもたらそうとする人を「生意気だ」とか「お前の身分*2で出過ぎたことをするな」と言って潰す傾向がありますし、官僚の世界ではそれが非常に強いようですから、世界初の試みが日本で行われるとは思わないですね。
もし採用されたら安倍政権3度目のミラクルとして賞賛したいですが、その内容が「肝は財金併用です」みたいなクルーグマン(ないしケインジアン)の面目をほどこす我田引水だったら意味ないですけど。
ともかく、本気で検討されているなら、日本語で、無料で、容易く読める、政府か、政府の依頼をうけたシンクタンクが出す制度設計についての論説を公開して欲しいと思います。

融・財政政策の拡大

量的緩和の規模拡大はよいとして、超過準備への付利を撤廃するかどうかという点で意見が分かれています。
この論説では付利撤廃の目的を「期待にはたらきかける」としていて、他のリフレ派もそう言っていたように思いますが、ここは自分の理解と違っていたので、「うーん」となりました。
期待への働きかけは金融政策ならどれでもあると思うのですが、私は別の目的がメインだと考えていました。それが何かは書きません。もっと勉強します。
また、付利撤廃とマイナス金利を同じものとする見方も前から疑問だったんですが、マイナスじゃなくて短期国債の利回りより下げるかゼロの方が良いと思うのですが。
マイナス金利については、「業者のサヤ取りに使われるから無意味」とマンキューが批判していたと記憶しています。
この辺は勉強不足でよく分かりません。
先ほど書いた懸念が「やっぱりな」という感じで現れているのがこのくだり。

名目GDP水準目標の実現に必要なのは、政府と日銀が一体となって拡張的マクロ経済政策を運営することであろう。特に日本では消費税増税という緊縮的財政政策の影響が強く出たことを考えると政府の責任は大きい。この点、英米での議論は中央銀行の目標という文脈に限定されすぎている
参考になるのはポール・クルーグマンの提言だ(参考文献:Krugman, 2015)。金融政策はレジーム転換に成功したが、緊縮政策で回復は頓挫したと彼は考える。日本はもはやひどい不況にはないが、まだデフレは続いており財政状況もよくない。しかし財政状態を改善するのに本当に必要なのは、緊縮財政ではない。金融政策のレジーム転換に加えて財政支出をさらに増やすことが望ましい。具体的には2%よりも高いインフレ率をめざす一方で財政政策を拡張すべし、という。

英米での議論が中央銀行の目標という文脈に限定されすぎている、という意見を持たれるのは良いと思うのですが、根拠がないんですよね。
どうしてダメなんでしょう?
次の青文字が私の疑問の本丸。
財政を拡大すると経済が拡大するというドグマで、リフレ派ドグマというか、クルーグマンのドグマです。
クルーグマンは本国アメリカではけっこう批判されていて、それはアメリカの経済予測を大きく外したからですし、ユーロ圏の官僚(か政治家)からも「余計な口出しするな」という感じの反論を受けたりしているのですが、日本ではどういうわけか、政治家・ジャーナリスト・学者・一般人すべてがクルーグマンに帰依しています。
クルーグマンにとっては日本での扱いが一番居心地良いんじゃないでしょうか。
リフレ派の主張の起点でおかしいのは、「財政を使うと経済が拡大する」という前提。
この前提に立てば、財政拡張すれば政府債務の溜まり方より経済の拡大の方が早いから債務問題は解決に向かう、ということになりますが、現実のデータをみるとそれは非常に怪しいです。
少し前に書いたのですが、安倍政権は当初から財政拡大していましたが、その割には経済が拡大していません。
小泉政権では逆に、わずかな緊縮財政を行いましたが、経済は少し拡大しました。
消費増税は金持ち優遇へのシフト - Maddercloud
政府純債務のGDP比については、財政を拡大したのにそんなに下がらないとも読めるし、消費増税をしたのにちょっと下がっているとも読める微妙な感じになっています。
日本の政府債務残高の推移 - 世界経済のネタ帳
ただ、はっきりしているのは、金融政策をはじめた2013年に大幅に下がった、ということです。
このデータから、財政がそんなに関係しているか?という疑問を持つのは不自然ではないと思います。

財政政策については、新・三本の矢にあるように再分配に資する政策(たとえば貧困層への定額給付金の支給)、あるいは成長政策の要である教育、科学技術振興への支出拡大が望ましい。その規模は現状の需給ギャップを考えると10兆円程度は必要だろう

緑の太文字がここでは問題に感じられます。
この意見は、財政を拡大すると需給ギャップが縮まる、という前提なので、さきほどの考え方と似ています。
これもデータを見てみると疑問なんですね。
http://www5.cao.go.jp/keizai3/shihyo/2015/1127/1132.html
リンク先の一番下には需給ギャップの推移が出ているのですが、2015年のⅠ期からⅡ期にかけて、需給ギャップが拡大しています。実はこの時期、財政拡大が行われたんですよね。
2014年の補正予算は2015年3月に決まって、6月までに9割がた契約済みになったのですが、まさにこの時期、需給ギャップが拡大し、その後さらに拡大しています。
これはもちろん、中国の減速の影響を受けた海外要因なのですが、それはつまり、予想できない海外要因が発生すると、簡単に財政拡大は逆転されてしまう、ということを意味しています。
そこにリフレ派の前提を持ち込むと、「さらに財政拡大しろ」ということになりますが、そういうことをやっていて本当に、「財政拡大で政府債務のGDP比を下げる」ことが可能になるのでしょうか?
中国の減速のような事件は、どう工夫しても予測できない、「我々が知らないこと」に属するのですから、財政政策を肝にした政府債務対策をすると、そのように予測できない事件に振り回されることになり、どのように着地させるか、まったく構想できないということになります。
そのようなことを政策として推進して良いのでしょうか?
まぁ、誰も責任を取らなくて良いという「利点」がありますが・・・
あと、そもそも需給ギャップは財政で埋めなくてはならないものという印象付けも変だと思いました。
景気対策の財政をやらずに、金融政策だけでは需給ギャップが埋まらないという根拠はどこにあるのでしょう?
財政を使わないと総需要が増えないという、三橋貴明と同じことをリフレ派が言い始めていますが、その考え方は、「デフレは貨幣現象」という従来の説明と整合するのでしょうか?
また、ワルラスの法則を使って金融政策の有効性を説明していたことと整合するのでしょうか?

*1:自分に真理がわかるという意味ではなく、最近のリフレ派が真理性を無視したその場しのぎを繰り返していることへの批判的視線、という意味

*2:変な言い方ですが、日本人の意識にはこういう感覚があると思います