【さくらじ】規制をすると多様な生き方ができる!?

チャンネル桜はすっかり転回してしまいまして、「次に有力になりそうな政治家と繋がった方が得だ」という判断が見え隠れしています。
国体が大事だー大事だーといいながらも、官と族議員に有利な思想だけを垂れ流すようになってしまいましたね。
出演者の面々は、「揉め事に巻き込まんでくれよー」と心中で呟いていることでしょうが、両陣営から引っ張りダコになればむしろ露出の機会が増えていいんじゃないの。
というわけで、司会やレギュラーコメンテーターの発言は結局は誰かに言わされているだけのものなので、いちいち目くじら立てて問題視するような代物ではないのですが、素材として面白いので取り上げたいと思います。

SAYA「新古典派の世の中になるとアートが消滅する」

夜にかいたエントリで紹介した「さくらじ」での出演者の会話は、酷いというか面白いというか、錯乱というか混乱というか、彼ら自身なにを話しているのかよく把握していないのだろうな、と思わされるものでした。
例によってメモをとりながら聴いたので、今後じわじわネタにしていきたいところですが、まず興味深かったのは、「新古典派的(新自由主義的)な世の中になると多様性が失われる」というSAYA氏の懸念。
三橋が非難している新古典派的発想は、あくまでも三橋が思う「新古典派的発想」に過ぎないので内容的に怪しいものですが、ともあれ彼らが言うには、規制緩和・民営化・自由貿易道州制・平等選挙(!)を実施する世の中になると、人々はカネのことしか考えない、互いに争う、均一の価値観しか持てないようになるというのです。
SAYA氏が言うには、「そんな世の中になったらアートが存在しえなくなる」とか。
「自由化すると価値観が均一になる」と主張している時点で既に意味不明で、経済活動が自由化されると他の分野の活動がどうして消滅するのでしょう。
自由主義者が経済への政府の介入を否定するのは、経済を通じてその他の活動にも介入されるのを拒否するという面があります。経済効率のためだけに自由化を求めるわけではありません。
例えば、介入主義の国会議員が経済にだけ口出しをしているのであれば放置できるとしても、そういう人間が経済介入に由来する権威・権力を利用してネットメディアの言論を左右し、人々の価値観をゆがめたりするわけでしょう。
「さくらじ」の面々の理解はそこがまず転倒していて、「自由化すると(どういうわけか)人々はカネのことしか考えなくなり、価値観が貧困になる」と言うのです。
話は逆であって、経済を自由化することによって経済的特権層を排除する方が、それら特権層の社会的権力を制限できるのです。

しも芸能が規制されたら?

タクシー規制に賛成している三橋の世界観を芸能に当てはめたらどうなるでしょう?
「コンサートの料金は2万円からとし、それ未満は認めない」と政府が規制したとしましょう。
そして、「芸能人が少ないと人々の心が豊かにならないので、これまでの2倍に増やすようにしなさい」とも規制されます。
こういう世の中になると、もともと富裕層が利用していたオペラなどは影響を受けないでしょうが、一般人を客層としている歌手・バンド・アイドルは困ったことになるでしょう。
コンサート料金を下げて客を集めることが出来ない上に、ライバル芸能人は2倍に増えるのですから。
そんな世の中で、「頑張りさえすれば何とか成る」と思いますか?
「貧乏になっても心が豊かになる音楽ができれば満足よ」となりますか?


すがにこれでは困ったことになると、次に政府は「料金はそのままにして、芸能人を4分の1まで減らしなさい。これで芸能人の生活水準は確保されます。」と規制しました。
芸能人の数が減れば、確かに一人当たりの収入は増えるでしょう。
しかし、そのときに減らされる芸能人はどのように決まるのでしょう?
あみだくじ?
話し合い?
実力?
日夜テレビに出演しているアイドルグループと、ライブハウスやネットメディアで活動している歌手と、どちらが残るのでしょう。
「人々の心を豊かにする」という理由で後者が選ばれるでしょうか?
前者は周囲に大金を儲けさせているのに?
また、地道な活動をしていた歌手が、そのような理由で政府から活動を規制されたとして、「まぁ仕方ないわね。新古典派的世の中になるよりマシだわ」と考えたりするのでしょうか。
普通に、今の日本の価値観でごく普通に考えるならば、「どうして政府から自由を制限されなければならないの?どんな資格があって、見ず知らずの他人が私の生き方を決めるの?音楽の実力と関係ない理由で、音楽のことが何もわからない人たちにどうして左右されなければならないの?」となるのではないでしょうか。
タクシーその他の規制される世界で起こるのはそういうことです。


こう考えてもやっぱり、自由主義はダメなんでしょうか。
どうせ言いたいことも言えないこんな世の中ですが、心のなかではよく考えるべきでしょう、人として。