「貨幣」と「総需要」を分ける奇妙さ

狂人日記

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「デフレの原因は貨幣でなく総需要である」という主張は奇妙です。
金融政策で総需要を増やす経路は、アベノミクス開始以来さまざまなところで解説されていますから説明の必要は無いと思いますが、それにしても「財政政策をやらなければ総需要が増えない」という意見を吐く人は、現実に起きていることが見えないようです。
4月〜6月の名目GDP成長率が年あたり換算で3.7%になったというニュースは記憶に新しいですが、「デフレは総需要不足が原因」という主張する人々が言うとおり公共投資額は90年代後半よりも減っていますが、2013年の名目成長率はかつてない水準になりました。
これはもちろん、金融政策の力です。
むやみに財政政策をやりたがる人たちは、事実を無視して理屈をこねまわして何となく視聴者を納得させてしまいますが、根拠のない主張をしていることはすぐに確かめられます。

本の公共事業は多い

それに、日本の公共事業が減少したといっても、他国と比較するとまだ高い水準にあります。
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このサイトには面白いくだりがあったので紹介しておきます。この内容を正しいと私が確信しているわけではありませんが、反米ナショナリスティック財政拡大派に向けると愉快な内容です。

 日本の1980年代後半は4%台であったが、1990年代前半、1991年から93年にかけて一気に6%を超える高い値を占めるようになった。こうした急激な公共事業の拡大は韓国を除くと他の先進国では類例のないものである。
 きっかけは、外圧である。すなわち、対日貿易赤字の累積に困っていた米国は、1990年の日米構造協議の中で、日本の内需拡大とそのための公共投資の拡大を日本に迫った。その結果、対米公約というかたちで、1991年度から10年間で総額430兆円という公共投資基本計画が策定された。その後、基本計画は、95年度から13年間で総額630兆円という規模に膨らまされた(2002年にようやく廃止)。

長期推移では、日本は高度成長期の1960年代には英国、ドイツなどとほぼ同じ水準であったが、その後、ヨーロッパ諸国ではインフラ整備が一段落し、Igの対GDP比が低下していったのと対照的に日本は高度成長期並みの毎年の整備拡大を継続したため対GDP比ではむしろ上昇傾向となっている。

このサイトの筆者は財政拡大派ですから、反対派の意見を私が恣意的に引用しているわけではありませんよ。
こちらもご参照。

そもそも財政政策に全面的に反対なんて人間がいるはずがないのであって、「国民の安全確保」や「再分配」や「費用対効果で良いもの」はやれば良いだけで、「景気対策として財政政策をメインにする。しなくてはならない。」という主張が変なのです。
景気対策として財政政策をする、という考え方は、本来の財政政策から見れば邪道です。
必要があるかどうか、効果があるかどうかに関わらず、カネ儲けのために税金を特定業者にバラ撒くというやり方ですから。
国民から広く集めたカネを、国民のためになるかどうかがわからない事業を行うために、官僚・族議員・特定業界の得になるように集約するのは社会的不正です。
財政政策を経済の活発化に活かすのであれば、金融政策の下で、常に生じている必要性に応じて財政を使えば充分でしょう。
日本には補修を必要としている公共施設や、改良しなければならない都市環境はゴマンとあるのですから、事実上永久に公共事業を行うネタはあるわけで、ことさらに「強靭化せえ」と声を張り上げる必要性はまったく有りません。*1

*1:ただ、安倍政権の今の流れを考えると変な財政政策をやりそうではありますが…