憲法における選挙頻度についての規定を変えるべき

憲法改正の論点として、選挙の頻度についての規定は話題になっていませんが、衆院4年、参院6年、という低頻度には問題があると思っています。
今回の参院選で「ねじれ」をなくすのに、なんと6年近くもかかっており、その間の政治の停滞やドサクサ紛れの悪政の原因になっています。
民主党が国民からの信認を失ってから数年は経っているにもかかわらず、その悪影響力を昨日になるまで排除できなかったのは、日本国憲法の欠点のせいです。
信認を失ってからも「次の選挙」まで時間がある場合、「次の選挙までに駆け込みで色々やっておこう。どうせ選挙では負けるから、不人気政策でも有害政策でも関係ない。官僚様との関係を強化して、選挙後の世渡りに備えよう」といった、社会にとって負のインパクトをもつ動機を国会議員にもたせてしまうのが、現在の選挙頻度です。
選挙の頻度を上げることで、政治家に対する国民の影響力を増し、不適切な政策の駆け込み実現を防ぐことが求められます。

挙頻度は憲法改正にも影響

また、選挙の頻度の低さは憲法改正の難度を上げてもいます。
96条の改正に私は賛成ですが、仮に96条の改正ができなくとも、選挙頻度を上げることで憲法改正はしやすくなるでしょう。
「ねじれ」の解消にこれだけ時間がかかったことを、「国会における両議院での3分の2以上勢力の確保」に置き換えてみればわかりますが、衆議院でも参議院でも、「3分の2以上の勢力」を持つといった「劇的大勝利」状態を6年も保てるはずがないのです。
常識的に考えて不可能なこの状態を保つことを要求する憲法は、やはり事実上は改憲を阻む規定をおいているとみてよいでしょう。
憲法改正のし難さは、96条単独の問題として考えるのではなく、選挙頻度の条項とのコンビネーションでみるべきです。
もし選挙頻度が、「衆院参院も任期4年で、双方とも2年で半数改選」か「衆院は任期2年、参院は任期3年」に、或いは「一院制にして任期4年」にすれば、96条がそのままでも改正の難度はぐっと下がるでしょう。
「他国にも96条類似の規定があるから、96条改正はするべきではない」という主張が詭弁なのは、選挙頻度との関係について口をつぐんでいるからです。