リフレ政策は分かりやすく発信されなければならない

こういうエントリがあがっていました。
アベノミクス本を読む3 『リフレは正しい』 - 紙屋研究所
このブログ主の方はリフレ政策に反対のようですから、岩田副総裁の著作にも否定的な評価をしているわけですが、「リフレ本は一般人には分かりにくい」という批判には一理あります。
リフレ政策は論理や事実で語られるべきものなので、デフレ派のようにイメージや情緒で嘘をつき放題の言説に比べれば分かりにくくなるのは仕方のない面があり、平明に解説するのにも限界があるのですが、これまで試されたことのないメディア、例えばマンガや映像で伝えていくことも必要だろうと思います。
経済本を読むのが趣味の人は、分からない部分があっても「理解するために努力しよう」と考えますが、これは物好きな部類なのであって、一般の人たちにそんな意欲はありません。
しかし、リフレを政策として継続するには一般の人々の理解と支持が必要なのですから、単にスジの通った主張をするだけでなく、「経済を全然理解していないし、理解する気もない」人たちにむけたコミュニケーションも重要になっていると思います。

このブログエントリの問題部分

ず、この円高・円安で輸出が強くなる・弱くなる、という理屈は、初心者が苦手とするところです。

円安になると海外から見た日本商品が安くなるので売れやすいということですね。他の説明の仕方も有ると思います。

らにいえば、金融緩和するとどうして円の「購買力」が変わるのか、そのあたりもよくわからないという人が多いでしょう。

円の量が増えると円の価値が下がるので、購買力が下がります。つまりモノやサービスの価格が上がります。
購買力が強くなっていくと、みんな円を抱え込んでモノやサービスを買いたがらなくなります。持っているだけで有利になっていきますから。

利が上がるとか下がるというのもそうなんですが、そういう感覚がすっと入って来ないので、初心者は疲れ切ってしまいます。

これはわかります。
リフレ政策を理解するにはちょっとした根気が必要になります。ただ、高校数学よりもマシだと思うのですが…
しかし、一般の人達に理解してもらうためにも、金利の上下動みたいな話は映像で視覚的に伝えるのが良いと思います。

一の矢である「大胆な金融緩和政策」の役割は、需要を増やしてデフレギャップを埋め、それによって実際の実質GDP潜在的GDPまで引き上げ、潜在的GDPの径路を踏み外さないようにすることです。(岩田p.20)

わかりますか。全然わかりませんね。もちろん、この文章の前後に実質GDP潜在的GDPの説明はあるので、その部分はわかるとしても、金融緩和政策がなぜこうした引き上げを実現するのかが読んでいてもわからないのです。

これもわかります。
専門用語は日常的に分り易い言葉に言い換えるのが良いと思います。
もちろんそれは、言葉の使い方を曖昧にして誤解を招く面もあるのですが、専門的に批判してくる相手には専門用語で返して、一般向けには言い換えを相当数入れるべきでしょう。
このへんに編集者の役割があるのではないでしょうか。
編集者は経済学のシロウトであることが多いですから、シロウトには分かりにくい部分がみえる筈です。
そのようなところに言い換えの脚注を逐一いれていくのはどうでしょうか。脚注には専門家のチェックが必要になりますから煩雑ではありますが、理解しやすくなるでしょう。
「需要が増える」というのは「名目支出が増える」ということですが、どうしてそうなるのかについての説明が要ります。

ンフレが予想されると円の購買力が減りますから、外貨預金にしたほうが得だということになり、その結果、円安になります。(岩田p.146)

一応書いてありますが、非常にぶっきらぼうです。たぶんシロウトには、「インフレが予想されると円の購買力が減りますから」で頭がぼーっとなり、「外貨預金にしたほうが得だということになり」で手足が痙攣しはじめ、「その結果、円安になります」で死にます。困りましたね。

ここは分かるでしょう。
円よりも外国のお金を持つ方がモノやサービスを買う力が強くなるので、円を外国のお金に替える人が増えます。円が売られますから、円安ですね。

際にいま、円安と株高は起きています。だから「アベノミクスで円安と株高は起きる」というのは疑いようもなく実現したというわけですが、実際には、それがこの理屈通りの径路で起きているのではない、ということです。
 いま、岩田が説明したようなことを「こんなふうになるんじゃないかな」という思惑をもって、外国の投機資金が流れ込んできて、円安も株高も、起こされています。別に、経済主体であるぼくら国民がそんなふうに「インフレヘッジ」をしようとしてやっているわけではないのです。

ここは間違いですね。今の株高は岩田副総裁の主張どおりの展開です。
岩田副総裁の著作を何冊も読まなければわからないことではありますが、リフレ政策の発動でインフレ予想を高めるのは「市場関係者」です。
「デフレと超円高」の135ページに明記されています。

デフレと超円高 (講談社現代新書)

デフレと超円高 (講談社現代新書)

ただ、逆に言うと「デフレと超円高」を読まなければわからないということでもあるので、「リフレ政策の初期に重要になるインフレ予想とは、市場関係者のものである」ということを常に強調するべきだとは思います。

体経済がすばやく動いてそうなっているのではなくて、敏感な人たちの思惑の交錯が今のところ経済をリードしている、ということです。

ここも重要なところで、実体経済が動きはじめるのはリフレ政策発動から半年〜1年半後と言われています。
実体経済がすぐに動くと主張するリフレ派はいません。
ただ、今の日本の状況を見ていると、予想よりも実体経済への波及が速いような印象をうけます。ポジティブな意外さです。

田は「日本では、賃金が下がる前にデフレが始まっています」と一言で切って捨てていますが、名目GDPが下がりはじめたのが1998年、日銀がデフレを認めたのは1999年ごろからです。雇用者報酬の低下は1998年からです。岩田の抗弁はいかにも苦しいと思います。

ここも間違いです。
GDPデフレーターでは95年以降、コアコアインフレ率では98年以降、デフレです。
GDPデフレーターやコアコアインフレ率がわからないって?
わかります。
それはそうでしょう。
このへんの項目の、人々への概念伝達をどうにか分かりやすくしたいものです。

も、たとえば最近、2000年代半ばにものすごく好景気になって、株高と円安になって企業の利益も急激にのびた時代がありましたよね。あの時期、設備投資も伸びず、賃金も上がりませんでした。あれはどうしてなんでしょう。という疑問がふっとわきあがってきます。

これは良い疑問。
「デフレと超円高」をお勧めします。
結論的に言えば、経済が回復しかけたときに当時の日銀が量的緩和をうち切ったからなんですけれども。

フレ派の人たちの理屈は、このように何段階かの矢印を重ねる、「風が吹くと桶屋がもうかる」的な印象をうけてしまうのですが、実感に照らすと「うん?」と思ってしまう部分がいろいろあります。

ここも良い感想だと思います。
「正しい金融政策には実感に反するところがある」ことを理解するまで進んでいただきたいところ。
実感や常識に照らさず、間違った思い込みをアンラーニングする重要性があります。

っと大切なのは、「インフレになるだろう」という空気を醸成することなのです。
 おカネの価値を下げることで、おカネなんか後生大事に持っていてもしょうがない……と価値観を革命してもらうことが目的なんですよね。

これについては色々と意見があると思いますが、一般の人たちがそんなことを思う必要はないと個人的には思います。
普通の人々は、インフレになったからカネを使うのではなくて、好景気で明るい雰囲気になったり、自分のカネ回りが良くなったりしたときに使うのだろうと思いますし。
一般人の消費活動で、経済のメカニズムがわかる必要があるとは思えません。

っき、ぼくは「国民の側におカネがないからモノを買えないのだ」といいましたが、それはいかにもサヨク的な世界観だと言われるかもしれません。

いや、それは正しいです。リフレ派もそう考えています。

ベノミクス派からみると、階層の区分けは別にして、国民はいっぱい貯め込んでいるのです。そのリスみたいな行動様式をやめさせて、カネを吐き出させること、そのためにインフレを起こすんだ、というふうに考えているとすれば、賃上げのことなんか大して考えていなくても不思議ではありません。

違いますね。デフレでカネを貯めこむのは企業です。
インフレ予想を持つと、企業はカネを貯めこむより資産や設備投資にカネを使います。その方が有利だと予想するからです。
そのように動機づけるのがリフレーション政策なのです。
そして、リフレ派が賃上げのことを考えていないですって?
どう読めばそうなるのでしょうか。
リフレ派が言うのは、「最初から賃上げするのではなく、リフレ初期には失業を減らすのが大切」ということです。
失業が減れば、世の中全体でみた格差は縮まりますよね。
労働需要が逼迫すれば賃上げも始まります。
あと、保育士・介護士の記述について批判がありましたが、その問題はリフレーションとは関係ないので割愛いたします。
ここもよくある誤解ですが、リフレーションアベノミクスそのものではありません。
アベノミクスが「第一の矢」としてリフレーションを採用しているのです。
第二・第三の矢の部分についてはリフレ派の間でも意見はバラバラです。
つまり、「第三の矢」に関して岩田副総裁を批判しても、それはリフレ派への批判にはなり得ません。