ノビーにもガチンコな批判を

ノビーと言っとけばわかると思いますし、わからない人は無視して構わないわけですけれども、相変わらずノビーが怪しい自説を展開しています。
私は一般人ですが最近では読書の成果が割りと蓄積してきまして、ノビーの話のおかしな点も具体的に指摘することがぼちぼちできるようになってきました。
が、ノビーに関しても専門家がガチンコ批判するべきなんであって、今まで野放図にノビーがやれてきたことに疑問を感じます。
おかしいと思うならバチバチ批判すれば良いと思いますし、私が読書した限りではそれが出来る専門家は大勢いる筈なんです。
これまであまりそれがなかったのは何かしらの非本質的な事情があったのではないかと邪推しています。
ノビーが伸び伸び活動してきたせいで、リフレ政策に対して間違った見解を持つ人は大勢います。人間はいったん意見をもつとそれを変更する労をとるのを嫌がる傾向がありますから、間違った経済観が広まった損害は思いの外大きいと思いますね。その責任の一端は、学識上はいくらでも批判ができたのに何らかの事情で批判をしてこなかった専門家にもあると考えています。なんで一般人がやっきになって幇間どものデマと戦おうとしなければならないのか理解に苦しみます。
真摯な人々の間に広く共有されている誤解の代表的なものが、『量的緩和で出てきたカネが出回らないと効果がない』というもので、これは常識的にイメージすると当然のものです。ほとんどの人がこう考えるのではないでしょうか。もちろん私も経済についての読書を始める前には同じ様に考えていました。
しかし、それは全然違うということが世間で認識されなければいけませんし、特に新たな政治勢力になる人々には認識されなければなりません。
『予想』が発揮する効果について、これから指導層になる人々にレクチャーがなされる必要を強く感じます。
2月の『インフレ目処』発表で即座に株価の上昇、円安方向への変化が生まれたのは、決して実際に撒かれたカネがどうこうという話ではない、ということがまだ理解されていませんね。
一口にリフレ派といっても考え方はさまざまで、アメリカのブロゴスフィアではマクロ経済学者同士の論争がかなり行われているのですが*1、一部の例外を除いては『量的緩和をせよ』という一致点があります。*2
金融政策について一般的な本では『効果が出るまでラグがある』とか『財政政策も併用せよ』という感じですが、アメリカの先鋭的な人は『経済の回復には金融政策だけで十分である。しかも即座に効果が出る。』とまで言っている人がいて結構刺激的です。その内容の妥当性について確かめる能力が私にはありませんが、そのくらいの主張すらあるという話です。日本のブログ論壇とは雲泥の差。
そのように差が生まれるのは、経済論戦が『見もの』として注目を集めていないからで、ノビーを専門家が批判することがそのような『見もの』として機能することを私は望みます。ノビーも割と有名人ですから、その辺のガチンコ議論を本にしたらいいじゃないですか。見やすそうなムックみないな奴で写真や図解がたくさん載っているようなカラフルな本がコンビニのプロレス本の横とかに置かれるようになると良いと思いますよ。経済論戦も一種のプロレスとして提示されるのは大事だと真面目に思います。プロレスラーが自分のキャラクターを規定して、敵役のプロレスラーとストーリーラインを見せていくと多くの人が面白がって注目しますからね。みんなケンカが好きなんですよ。ケンカを見せて楽しませることを正しい経済観を浸透させる道具とすることが出来ると良いのですが。

*1:今の私はその内容についていけませんが

*2:但しその『一部』がビッグネームだったりするので困る