学校日本史教育の「常識」

学校で習う日本史教育の「常識」が日本国民の民度を下げているのではないかという問題意識があって、日本史教科書の中にあるおよそ時代遅れな記述を抜き出してみた。
いくら新しい学説で適切な政策を提案してみても、国民が学校教育を通じて得た「常識」がお粗末なものなら、適切な政策を支持する世論など形成されようがない。
マスコミがウソを流す問題もさることながら、学校教育が各分野の専門家によるチェックを経ていないという問題点を経済への認識を例としてあげてみた。

山川出版社「詳説 日本史」

しかし、同じ教科書の中で元禄文化の繁栄ぶりが記されている。
庶民の生活が圧迫されていたのに、何故元禄文化が栄えたのかについて論理的な説明が無い。

新井白石が金の含有率が高い小判を発行して物価の騰貴をおさえようとしたが、かえって社会に混乱を引き起こした。

なぜデフレであると書かないのか。インフレに関しては「物価の騰貴」と明記するのに。書き手の中に、「インフレは悪い」という意識があってもデフレが悪いという意識が無い、という偏りを感じる。

徳川吉宗はコメ政策の改善により、一時的に幕府の財政を好転させた。

というような記載はあるのだが、元文小判の発行というインフレ政策=リフレ政策による経済好転(つまり、新井白石儒教的価値観によって悪化させた経済の好転)についての記載がない。なぜ成功したインフレ政策は教科書に載せないのか?

松平定信による厳しい統制や倹約令が民衆の反発を招いた。

新井白石と同様、商業を蔑む儒教的価値観によって松平定信がデフレを引き起こした事実もなぜか教科書には記載されていない。

1930年代の昭和恐慌からの脱出過程について、財政政策にしか触れていない。高橋是清が、国債の日銀への直接引受を行わせて、金融政策をも併用していたことを教科書は記載していない。

ニュースやネットの記事で、いくら「マイルドインフレが経済運営については最善」という新たな知見を目にしたとしても、学校教育を通じて10年以上にわたって「インフレは悪」という考え方を刷り込まれていては、状況に応じた合理的な判断はできないだろう。
政府や日銀の詭弁に、国民がたやすく騙されないようにするためには、小中高時代の社会科の内容を実用性のあるものに変更するべきだと考えるし、カリキュラム編成のプロセスに経済学者など、各分野の専門家を関わらせるべきだと思う。
何か一つの分野の専門家の知見は、現代の複雑な社会に適切に対応していくのには足りなくなってきている。
学校教育やマスメディアによる報道について、学問的な見地から検討を加える場が設けられてしかるべきだし、それが広く報道されることによって、国民が社会について思索を巡らすきっかけになっていくべきだと思う。