賛成してくれる人としか話せない人間。

相変わらずの中野剛志。

「『これからはグローバル化の時代』と言われ続け、経済学者もそれに同調してきた。それが何の矛盾も混乱もなく進んでいくのであればいいが、この先グローバル経済全体はバラ色の未来ではなく、むしろあちこちで混乱や亀裂が生じていく。とりわけ2008年のリーマンショク以降はそうした傾向がどんどん出始めている」との見方を示す。

リーマン・ショックグローバル化の問題かもしれんが、ああいうショックを完全回避するために鎖国でもするのか?貿易程度しているだけでも必ず影響は受ける。1929年の世界恐慌の際にも日本の生糸がアメリカで売れなくなって日本の農村は大打撃を被った。

これに中野氏は、「国ごとに自分たちのルールを作れない、グローバルに合わせなければいけないとなれば、民主主義はどうなるのか。『グローバル資本主義は民主主義の敵だ』という議論がある」と示し、「グローバル化によって『国家主権・支配』の及ばない領域ができるため、"国家"は古くなるとされ、日本では妙に歓迎ムードだが、民主国家においては国家主権とは国民主権のこと」とした上で、「国民主権が届かないところができるというのを喜んでいるというのは、ほとんど反民主主義者」と主張する。

これはTPPというよりEUだろ。ユーロ参加国は自由な金融政策ができなくて大騒ぎになっているわけだが、ではEUは民主主義の敵なのか?
あと主権には対外的な意味と対内的な意味があるが混同しとるだろ。
それにTPPは条約だから国会で批准しなければ効力が出ないが、国会で批准する手続きを経て受け入れたグローバルな取り決めがどうして反民主主義なのか理解できない。国会は国民の代表で構成されている筈だが(建前上)。馬鹿げた条約を仮に批准したとしたら次の選挙で国会議員の入れ替えを国民がやればよい。それをやらないのは国民の責任。

中野氏はまた、「グローバルに国家の多様性をやめてひとつのルールにするといっても、世界政府がない以上、そのルールは国家間の外交で作る。(そなれば)結局、外交が強いほうのルールに従う。
ありていに言えば皆、アメリカのルールになる」と語り、「日本には、アメリカに前面に出てきてほしい人がいっぱいいるようだ」と指摘する。

アメリカに出てきて欲しいと日本人が願望しているのではなく、『太平洋地域の自由貿易圏の主導をアメリカと中国のどちらがとるか。』という問題。世の中には中国に主導して欲しい人もいる。『グローバル化が反民主主義で許せない。』というなら中国主導の自由貿易圏にも反対する筈だが、何故かそのような発言はしないのが中野。

 この点については柴山氏も、「アメリカは国民主権を捨てる気など毛頭ないが、日本は捨てる気満々のようで、『アメリカ主導の中に入っていけばいいじゃないか』という世の中になっているのは問題」と頷いた。
そして、「TPPは氷山の一角」であり、現在ありとあらゆるところで日本のルールを変えようという動きが起こっていると指摘した。(終わり) TPP反対の中野剛志 グローバル化を喜ぶ人は「ほとんど反民主主義者」 | ニコニコニュース

具体的に言え。

中野の負の特徴

中野の大きな問題点は「間違った内容を平気で言う。」「賛成してくれる相手としか公開座談しない。」ということである。
中野の間違いは、その辺の本屋で売られている統計資料や地理の参考書を見ただけで明らかに誤っているという程度のもので、地理の勉強をしている中高生にすらわかるような類のものである。その程度の間違いだから多くの人が指摘している筈なのだが、中野を登場させる番組・雑誌・新聞は全くとりあげず、中野自身も勿論直さない。ふだん農業・貿易関係の記事を取り上げているジャーナリストならすぐにわかる間違いをテレビや新聞で発言しているのに修正がなされないというのは敢えて修正していないという解釈しかできない。
京都大学という教育機関にも非常な疑問がわく点で、京都大学は地理を用いた入試がないのであろうか?もし地理(中野は政治経済の知識もいい加減だが)の入試問題を作る教員がいながら中野の誤りを指摘しないなら、その理由は何なのだろうか。京大の地理の入試問題では「ASEAN諸国は一次産品の輸出国ばかり」といった内容が出るのだろうか?
「賛成してくれる相手としか公開座談しない。」という点について、中野のような受け手の感情に訴えたりレッテル貼りしたり危機感を煽ったりする邪道な手法とは違い、事実や論理で中野に反論できる論者はすぐに挙げられるし、マスコミもそれらの人々を知っているので討論のセッティングはいつでも出来る筈なのだが、中野はそのような人々とは決して公開議論をしない。「逃げ回っている」との指摘もある。賛成してくれる者との公開座談しかできないなら、そのような人間は「論客」とは言わない。現状の中野は「頷いてくれるだけの人に向かって思い込みを話す人間」でしかなく、まともなカテゴリーは存在しない。