原発事故の当事者意識はどのくらい?

東電救済法が成立してしまい、それに対する世間の関心も理解も薄いのでほぼ脱原発は無理になりましたね。今がこの調子では2年後の選挙時に原発問題について興味を持つ人はそれほどいないでしょう。脱原発を掲げる政党の議席数は増えると思いますし、私もそういった所に投票しますが、普通に考えると自民党が政権に返り咲くでしょうし、なにかとんでもないスキャンダルや政変や巨大関心事が生まれたら民主党が勝つかもしれません。いずれにせよ原発推進ですね。脱原発共産党社民党が与党にならない限り無理でしょう。
脱原発については「ラディカルだ。」という見方もあるので反対する人の考えもわかりますが東電救済法の割り引けない問題点は、東電の責任を国民一般につけまわし、電力改革も不可能にした点ですね。原発事故の負担を責任ある者が負わず、社会の歪み・非効率も温存するという身も蓋もない法律です。これが意味するのは「社会における原発関連の問題点を改善する可能性がなくなった。」ということです。
福島事故の処理はこれから何十年も続きますし、健康・経済被害を受けた人のケア・補償、汚染農産物が流通する騒ぎなど原発事故関連で耳目をひくニュースはこれからも沢山出るでしょうしそれなりに話題になるでしょう。しかしそれらは面倒であるだけで社会を改善することには関係のない対症療法、原発事故の「敗戦処理」です。なぜ敗戦処理なのかといえば、原発事故を二度と起こさないようにするとか、電力関連の腐敗・不公正を正すということには関係のない、単に福島事故の後始末に過ぎないからです。次には繋がりません。つまり福島原発事故は社会・国土・同胞の安全に関心のある人々の負けという形で既に片がついてしまったということです。どうも気づいていない人が多いように思いますが、「福島事故はオワコン。」になりました。
個人的には原発関係の情報に耳を傾けますし、散発的に感想や批判を書いたりすると思いますが、原発事故の当事者ですら東電救済法に対して関心を持たないという現状では当事者でない私があれやこれや口に出すのも変なので通常運転に戻ろうと考えています。私は首都圏に住んでいるので次の事故でも当事者にはならないと思いますので(茨城の原発関連施設が逝くと相当まずいと思いますが『直ちに問題ない。』と思います^^;)なおさらですね。直接利害がからまない人間や土地の安全について思いをいたすことを二の次だとか無意味だとか考える人が主流だから目の前の危険とか利得とかしか興味がわかず、東電の社会的責任だの電力周辺の公正だのはスルーということになるのでしょうが、自分とやや遠い位置にある土地や人間についても思いやりの対象内にして社会を形成することで「自分が次の被害者になることを防ぐ」のですが…自分と直接に関わった時だけ騒ぐという段階は既に事故が起こっている段階なのですから。自分と直接関わる土地や人間にしか関心がないという部族主義では良い社会は作れませんが、残念ながら日本にはまだ部族性が残存しているようです。今日は8月15日ですので太平洋戦争関連の書物を紐解けば、特に軍に部族性が色濃く存在して(主に地域閥)どうしようもない腐敗と非合理性を生み出していたのが見て取れる筈です。