武田邦彦が経済談義に参入

http://takedanet.com/2011/08/post_0e5d.html
書き方が原発関係と違って根拠不明確なのが気になりますね。
「先日、私は日本で10本の指に入るという経済学の権威の方とじっくりお話をしました。」
だそうですが、名前を出さないとダメですね。出せない理由があるのでしょうか?
原発に関しては公開の場でバンバン議論しているのですから、経済談義も公開の場で専門家として欲しいと思います。(学位をもたない自称経済学者はダメですけどね。)そうでないと専門外の事について影響力を不当に行使する意図があったと解釈されかねませんから武田先生が心配です。

ネットが嫌われる一つの理由

ブログやTwitterへの批判がマスコミや有名人から出てくるのは、ひとつにはネットでの一般人の発言が自由だからでしょう。一般人は匿名で発言するので顕名で発言して名前を売るメリットを放棄する代わりに発言する自由を得ています。名声も金銭もネットから一切得ていないゆえに堂々と自由になれます。これが仕事なら勿論何らかの義務や責任が生じますから自由ではいられません。私もリアルでは「しなければならない責任ある言動」をしており、自分の立場や周囲への責任をわきまえています。
有名人でも発言は自由だと思いますが、専門家は芸能人に比べたら不自由度が増します。芸能人の発言が専門的でないのはみんな知っているので寛容ですが、専門家の発言には正確性が求められるので(正確さを期待されて世に出ているのですから当たり前ですが)、不正確な発言をすることには神経質になるのが普通です。
ただ、言うことが不正確だったり根拠無明確であってもマスコミから気に入られれば重用されますし、その方が安定的にマスコミ知識人として生きていくことができますからそういう戦略を取る人が多いですね。この戦略では専門内容の正否が判定しづらい分野の方が有利なようです。
だから私は専門家の発言(人格まるごとではなく!)を信頼するかどうかの一つの基準として、公開の場で根拠をはっきり示して、しかも専門用語で煙にまこうとせずに論議するかどうかを観察します。専門用語を説明なく連発して信者に取り巻かれているような人は信用しないですね。
私がかなりの程度信用しているリフレ政策を主張する専門家は説明が丁寧な人が多く、決してスタイリッシュさや民族感情のようなあやふやなものを利用しない人が目立ちます。専門家でない人もリフレについて熱心に発言している人がいて良い役割をしているなぁと思いますが一方で「おいおい」と思うような言動もあるので一歩引きますが…
いずれにしても誰かをまるごと信頼することは無いですし、リフレ政策にしてもわからない部分や疑問に思う部分もありますが、高い程度で支持しています。
現状の日本は10年来デフレで、今は不況で、円高によって雇用がさらに悪くなる危険性が指摘されているわけで、これは「目の前にある不都合」です。決して「タラレバの話」ではありません。円高に賛成するのも結構ですが、そうであるなら日本が現に苦境に陥っている理由を説明しなければいけません。リフレ派の専門家はやっています。ただ、それに賛否両論があるだけです。公開の場での議論が必要です。
原発事故は現実のものであり、被曝の悪影響もチェルノブイリでは現実にありましたが、それでも東電救済法は成立してしまい、脱原発も東電に責任をとらせることも電力改革も不可能になりましたね。原発事故も被曝も「目の前にある不都合」であるのに、「原発が無くなったら電力が不足する、経済が停滞する。」「東電を解体したら補償ができなくなる。」「電力改革をしたら電気の安定供給ができなくなる。」という「タラレバ」の話で押しきられてしまったことを意味します。
デフレや円高の問題についての議論も同じ形で推移してきています。デフレ不況によって雇用が悪化し、生活水準が下がり、自殺者が増加するという「目の前にある不都合」にも関わらず、「リフレをしたらハイパーインフレになる。」「リフレをしたら財政規律が無くなる。」という「タラレバ」の話によって有効な政策変更ができず、延々とデフレです。東電救済法成立の経緯を見ていてデフレと円高の問題も結局改善されないのではないかという危惧が高まりました。
東電と日銀の共通項は「競争相手のいない独占企業。社会に不可欠の存在のため決して倒産しない企業に務めている人々」であることです。
不吉ですね。