ネット上のコミュニケーションの価値

最近はネットの発達によって、以前は不透明だった世論の実情を2chtwitterを通じて垣間見ることができるようになりました。
確かにああいう場所でもある意図をもって運動として、仕事として意見形成しようとしている人々はいると思いますけれども、普通の人々が普通の書き込みをしている例は多いでしょう。
その証拠を得ることはできませんけれども、そう推定する一つの根拠は「必ずしも論理的でない、議論の水準が専門的すぎない、首尾一貫しない。」書き込みや応答が多いことです。
普通に生きる我々の日常思考や日常会話はそういうレベルのものです。カッチリと組み立てた議論を普通の人間関係でやっていたら気味が悪いでしょう。
一般的な意見はそのようにある種いい加減なものと私は認識していますので、2chtwitterで行われる話し合いは世論を結構反映していると思っています。
人間の考えることは前述のとおり大体は非論理的だったり根拠薄弱だったりしますし、感情面でも優越感・劣等感・共感・差別・友愛・冷淡といった清濁合わさった様態です。割と不愉快な意見が観察されるのもリラックスして建前を排除したネット上の会話の特徴であって、それを嫌う人も多いのですけれども、私としては「普段人間が取り繕っているコミュニケーションでは実感できない人間の真相」を一部観察できるので有益だと思っています。
きれいで気分の良いことだけ聞いていたいという欲求は誰にでもありますけれども、人間の嫌な面から目をそらしていると、人間が行う愚行への洞察力が下がってしまいます。
人の心の動きの汚さを知っているからこそ、「こいつら調子のいい事ばかり言っているが何やるかわからんぞ。」という正しい警戒心を持つことが出来るのです。人を信じたいという気持ちもよくわかることですが、現実には信じると危険なことが発生するのですから、たとえ嫌なことでもわきまえておかなくてはならないのだろうと思います。現世に生きる者の宿命です。
ただ、ネット上の匿名コミュニケーションにおいても本当に心のきれいな人はいるもので、非常に嬉しくなるようなことを言ってくれたり、気遣ってくれる人もいます。そのような交流は人知れず行われるもので、何の利得もありませんが、「そうしたい」というだけで好意的なストロークをくれる人がまれにいるのも事実です。そのような体験をすると猜疑心で重層的に武装している私なんぞも他者への信頼を数%は(それだけかい(^_^;))保持し続けられるというものです。私がニヒリストにならないのもネットのおかげかもしません。建前ばかりで話すリアル世界では逆に人間の実相がわからず、疑う心に歯止めがかからなかったかもしれません。