「電気が足りない」で一点突破。

日本の原発には続けるのが不可能に近いクリティカルな問題があって、一つは「大地震や大津波がどこにでもくるのに耐震性が弱くベントも出来ない構造であること。」で、もう一つは「使用済み核燃料の保管場所(存在するが足りない)や高レベル放射性廃棄物の最終処分場が存在しないこと。」です。
前者については言うまでもないことですが、次に事故が発生したら社会をまともに存続させることが難しくなるようなインパクトが生じるでしょう。居住地域がさらに少なくなり、農水産物を口にすることがもっと難しくなり、巨大な経済的打撃が日本を襲います。その上、大地震が特に懸念されているのが東海と茨城沖なのですから、浜岡原発と東海原発という大都市に近傍のものが事故を起こすことになり、福島事故をはるかに上回る被害をもたらすでしょう。
後者は原発を運転することを不可能にします。使用済燃料を保管したり廃棄したりする場所が無いなら、新たな燃料投入はできなくなります。そしてそれはそれほど遠い未来のことではなく10年以内には起こる問題だと予測されています。
使用済燃料についてのこの問題をふまえて「原発を動かせ、動かせ。」とせっつく人々を見ているととても不思議な気持ちになります。ほぼ確実に予測されている破綻がすぐそこにせまっているのに対処を何もせず「とにかくこのまま行こう。」としか言わないからです。崖に向かっているのが明らかなのに「進もう。」としか言わない人がいたらその人は明らかにおかしいわけですが、同じです。
燃料の保管問題を十分にわかっているはずなのに一言もそれへは言及せず、粘土みたいな顔つきと死んだ眼差しで「原発は必要。原発を動かせ。」と念仏の如く反復するだけ。
どう理解するべきなのかわかりません。
「最終処分場はまだまだ無理だが、保管プールや乾式保管場を地上に増設しよう。」といった話をするならまだ理解できるのですが…(もちろんそんな施設を造るのには反対ですが。)
何の手立てもとらずに、原発に興味を持たない大多数の国民に向かって電力の話だけで原発を肯定させようという手法は卑劣で危険なのですけれども、知識欲のないほとんどの人々に対しては有効な戦術ではあります。やってはいけないことなのですが、平気でやってしまうというあたりが人間の怖さですね。じわりじわりと暗黒面が滲み出てきています。
今の事態を超える大規模な破局がおとずれても、原発を推進する人たちはそれほど何かを感じるということはないのでしょう。
感じない人に「感じなさい。」といってもムダな話で、種類の違う人と接する空虚さを覚えざるをえないですね。