客観的なフリをした親原発って・・・

日経はそこはかとなく原発擁護くさい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110603/220388/?P=3

ドイツは再生エネルギーの普及が功を奏し、余剰電力を輸出してきた。
現状ではドイツは、原発なくして電力を賄えないのだ。

 
 しかも、こうした脱原発国がフランスに依存する関係が、未来永劫、持続可能とは言い難い。CEAのビゴ長官は、「原発で作った電力を(フランスから)輸入する一方、自らは放射性廃棄物の管理などには責任を負わないという身勝手な話は、政治的に許されなくなるだろう」と警鐘を鳴らす。


 フランスは、高レベル放射性廃棄物の最終処分場も自国内に造ると決めている。原発事故のリスクに加え、放射性廃棄物を長期保管するリスクも、自ら背負う構えだ。ドイツなどの脱原発を目指す国が、原発を代替する発電手段を確保できないまま、リスクを負わずにフランスの原発に頼り続けたらどうなるか。フランス国民から不満の声が上がっても不思議ではない。


 もちろん、韓国や中国などと送電線網が接続されていない日本に、原発を巡って独仏間でくすぶる対立の構図を、そのまま当てはめることはできない。だが、逆に島国として孤立しているからこそ、独仏の不協和音は、日本に2つの覚悟を問いかけている。


 1つは、フランスのように最終処分場の確保も含め、原発にまつわるすべてのリスクを、この狭い島国で全国民が背負う覚悟があるのかどうか。そしてもう1つは、原発の依存度を下げるのならば、電力を安定供給できる代替手段の確保に向け、大胆なエネルギー政策の転換に踏み出せるのか。


福島原発事故で世界が危機に直面する中、もはや日本の場当たり的な対応は許されない。

こういうのを読むと「うーん冷静な意見だ。」てな感じで「原発問題にオトナの対応をしよう。」といった話が出てきてしまうのですが、客観性を装う原発擁護につきものの、「国ごとの条件を無視した『対等な』議論」をまたやってますね。
前にも書いたのですが、フランスでは地震がほとんどおきません。
田中優氏によると「この30年間に震度5以上の地震がフランスでは0回、日本では約4000回発生している。」とのこと。
加えて日本は島国ですから津波がどこにでもきます。
その上にフランスの可住地面積は日本の3倍以上あります。
これだけ決定的に違う国同士を同じ地平で比べてどうこう言うのは全然客観的でないし合理的でもないのですよね。
少しものを考えたい層に向けて巧妙なごまかしをやる点に嫌なものを感じます。
「電気を輸入していながら放射性廃棄物の責任を負わないのは許されるのか?」というイチャモンみたいな議論も展開されております。
そんなに負担なら原発やめればいいんですよ。電気の輸入先がなくなったらドイツ人も節電くらいしますよ。
この議論は「農産物を輸入していながら塩害や地下水枯渇に責任を負わなくていいのか。」という話に似てますが、そういう場合は農産物価格に対策費を転嫁すれば良い話。
フランスが放射性廃棄物の処理問題をかかえるなら電気代を高くすれば良いのです。それでも買いたければドイツは買うでしょうし、割りに合わないとなれば他の手段を考えるでしょう。
人間が生きていくのに必要な資源を確保しようとするといろいろなデメリットはつきものであって、例えば近頃話題の「シェールガス」は安い・豊富といいことづくめのようですが実際は採取時の周辺住民への健康被害が問題視されているようです。
私は原発代替の有力候補は天然ガス・蒸気発電だと思いますが、そのためにガス田周辺住民を犠牲にして良いとは思いません。採取時の安全性を高めるコストは消費者である我々が負担するべきであって、そのために電気代が高くなって他のことに金が使いにくくなったとしても我慢するべきです。
現地の人々を無視してまで安価に豊かな生活をしたいというエゴを押し通したら原発と同様の差別問題になってしまいます。
しかし確かに塩害や地下水枯渇、ガス採取時の健康被害も深刻な環境問題ではありますが放射性廃棄物の処理問題はそれらをはるかに超える大問題だからフランス人も青くなっているのだと思います。放射能の被害は不可逆ですからね。取り返しの付くタイプの問題とは質が違います。
電気を売って儲けられる立場なのに、普通なら寡占的に商品を売る立場にみんな憧れるのに、フランス人は「俺たちだけに放射性廃棄物を押し付けないでくれ。」とほとんど「見捨てないで」状態になっている。その態度から逆に核のゴミ問題の重大性が間接的に伝わってきます。
なんか「道連れになってくれ。」と言っているような印象すら受けます。
ただ、もしフランスで放射性廃棄物処理関係で事故ったらドイツを含めた周辺諸国にも当然被害が及ぶのですから実際には「核のゴミ処理に協力してくれ、コストも電気代とは別に分担してくれ。」というのも通用するとは思いますけどね。
こういう話を読んでいると一見「欧州人同士のエゴのぶつけ合い。」というストーリーにしか見えず、日経もそのラインでネガティブに書いているわけですが私は反対に「お互いの立場を明確にした上で言葉によるコミュニケーションができるのは成熟している。」と感じます。
どこぞの島国では原発事故が起こっても「原発の社会的位置づけをどう考えるか、自分はどういうスタンスをとるか。」を全く考えない国民が多数いて、「事故は嫌だけど豊かに暮らしたいから原発推進派にこれまで通り投票。」という行動が全国的に見られたりする状況です。
その選挙に際しては原発問題についてハッキリと語られることもなく「面倒な話題には蓋をしてよろしくやりましょう。」という土民的共犯関係が有権者と候補者の間に無言のうちに共有されるという具合。
何十年も前から「この国は民主主義を輸入したので実は政治文化的にまだ民主主義をやるだけの成熟がないのではないか。」と問題視されていたりしたのですが、何十年たってもぜーんぜん民度が上がっていないという点に教育やマスメディアのお粗末なレベルが垣間見えます。
欧州人がエゴまるだしなのは事実ですし、ちょっと歴史好きな人ならフランスを含めた欧州がどれほど凶悪で偽善的でおっかねえのか知っているわけですが、彼らがその状態なのは彼ら自身酷薄な環境・社会状況を生き抜いてきたというプロセスによってそうなっているわけで、その分国民も政治的に成熟度が高いのです。
政治的に成熟しているというのは個人の思考法が意識的である証拠で、極東のとある小国のような「空気でなんとなく動きます」とか「集団思考に慣れきっていてそれ以外の方法を知りません」という幼稚さは存在しないのでしょうね。
フランス人もドイツ人もそれぞれの利害と立場を明らかに自覚し、エゴイスティックながらも自己決定して言葉と論理をつかってバトルしているのです。
これは自立的に生きるのなら不可避の過程なのですが、それを「ケンカ・争い」といったネガティブな受け止め方しかできないのは自らの文化的欠陥に頭の上までどっぷり浸かって周囲を見渡すこともできない蛙ぞろいの幼児的社会環境のなせる業なのだと思います。