ガダルカナル 学ばざる軍隊

太平洋戦争 日本の敗因2 ガダルカナル 学ばざる軍隊 (角川文庫)

太平洋戦争 日本の敗因2 ガダルカナル 学ばざる軍隊 (角川文庫)

薄いけれども、流れがわかりやすい本です。この辺の歴史はどのみち多くの本を読まないと掴めないので、色んな本を読むという前提でお薦め。

「日本軍№6 日本兵の正体」

P19
日本軍が武器を軽視する背景には、西欧、とくにアメリカの文明・文化が物質的であるのに対し、日本のそれは精神的なものであるとの思い込みがある。そしてこうした考え方こそ日本の軍人精神、すなわち「大和魂」の根幹をなすものなのである。

これはアメリカ側の分析。鋭いです。

歩兵操典

P90
訓練精到にして必勝の信念堅く…攻撃精神充溢せる軍隊は能く物質的威力を凌駕して戦捷を完うし得るものとす

P92
歩兵の本領は地形及び時期の如何を問わず戦闘を実行し突撃を以て敵を殲滅するに在り、しかして歩兵はたとい他兵種の協同を欠くことあるも克く戦闘をせざるべからず

92ページの部分には驚きました。地形や時期を無視して援護が無くても突撃せいと歩兵の教科書に書いてあるのですから、太平洋戦争で日本兵が遮二無二突っ込んでいったのは蛮勇ではなくて教科書どおりだったんですね。
しかし何という硬直性。
どんな状況変化がおきても対応しない、と宣言しています。平安〜戦国時代あたりの武士はこんなに非現実的じゃなかったんですけどね。
どう考えても非合理的で、通用するはずないのですけど、運の悪いことに日露戦争の後は弱敵とばかり戦っていて欠点が発見できなかったんでしょう。初めて出会った強敵がアメリカではね。駄目なことに気づいた時が破滅の時だったと。

P133
撃っても撃っても日本兵は次々とただまっしぐらにやって来るんです。私は、これは槍と弓矢で戦う伝統のせいだと思っているんですが、ほんとうでしょうか。とにかくまるで自殺でもするように、ひたすら機関銃の銃口に向かって突き進んできました。私たちなら一度体勢を整えて違った方向から攻めるとか、失敗したら次は別のやり方を考えます。それなのにいつも同じ戦術を繰り返す日本兵のことが理解できませんでしたし、指揮官はバカではないかと思ったのです。

「なぜ失敗しても同じ方法を繰り返したのか」という質問は、敗戦後に海軍の方にも投げかけられたらしいですね。海軍の方にも「歩兵操典」のような硬直的な教科書があったのかもしれませんし、あるいは教条的な振る舞いをするのは日本の文化なのかも。
あるルールを決めると、いつでもどこでもそれを遵守するのが「真面目」なのだと受け取られる傾向は今の日本社会にも確実に存在しますね。
なぜそのルールが良いのかを説明できなくても、守ることを求められることも。

ノモンハンガダルカナル

P113
…アルビン・クックス教授は、このノモンハン事件の失敗が太平洋戦争でも繰り返されたもう一つ大きな点は、事件の指導者が責任も取らず再び太平洋戦争も指揮したことにあるとしている。
このノモンハン事件では、第一線の連隊長級の現場指揮官数人が責任をとって自決した。その中には死を強要された指揮官もいた。それに引き替え、終始事件の拡大を主張した参謀たちの処分は甘かった。服部卓四郎は千葉歩兵学校付に、辻政信は中国の第一一軍司令部に転出させられただけであった。それもごく一時期なものであり、すでに見たように太平洋戦争前には二人とも大本営参謀の要職に抜擢されているのである。

生きて虜囚の辱めを受けず

いつごろから捕虜になることが極端に忌み嫌われるようになったのか。

日清戦争の際に時の軍司令官山縣有朋は、敵に捕まれば死ぬ以上の苦痛を受けるとして、次のように言っている。
「決して敵の生擒(いけどり)する所となるべからず。寧ろ潔く一死を遂げ、以て日本男児の気象を示し、日本男児の名誉を全うすべし」

やはり日本に害を及ぼした下らん現象の元をたどると山縣。
ただ、これが太平洋戦争時のように自決に次ぐ自決といった集団発狂の体をなすようになったのは、この何十年かあとのようですが。

昭和一六年三月作成「俘虜に関する教訓」

P167
…許されて軍隊に復帰するや雪辱の意気に燃えて服務し、決死の勇を持って奮闘し死処を得るに努むべきものとす。ただし、特に気節を重んずべき将校にありては、選ぶべき途は自決の他なきを通常とす。

支那派遣軍参謀部で作成とのこと。

参謀たち

ガダルカナルの戦いは2万人の死者のうち、1万5千人が餓死・病死というどうしようもない負け戦でしたが…
服部・辻コンビは責任をとらされるどころか、作戦課長に返り咲くは大佐に進級するはで、相変わらずの顛末。