私の昭和の戦争

私の「昭和の戦争」

私の「昭和の戦争」

ノモンハン事件から太平洋戦争まで、実際に関わった人々を交えた座談集です。

芦田伸介の回顧

安東で女郎屋やったことがある。というのは、新京、奉天がひどい目にあってきたでしょう、ソ連軍に。安東はちょっと遠かったんで、わりと情報が早かったんですよ。それで女子特攻隊を出さなきゃいかんだろう。そうじゃないと、ふつうの市民を暴行、略奪されたらたいへんだというんで、女子特攻隊をつくるべきではないか。

要するに、うふふ的なサービスをする女性たちのことです。

その当時、湯池子温泉というのが近くにあったんです。そこにお勝つぁんというたいへんな女がいましてね。それじゃ、あたしがやりましょうって…。ただし、本職の人以外はまかりならん。しかし、食えないからみんな来ますよ。それをソ連の兵隊たちに出したんです。だからわりと安東という町は、強姦も略奪もなかった。そうしたら、二十年の暮れには、百何十人ぐらいいましたよ。ふつうの女子は全部裏に置いて、食わすだけですよ。

この辺、今の日本人からは失われた精神ですよね。売春して金を稼いで、売春しない女子を養うのですよ?なんという義侠心。
倫理にとらわれないからこそ出来る善行ですね。

表で働いているのは女郎専門のプロです。これは強かったですね。何かあると喧嘩して、ピストルで撃たれたりするんですよ。足撃たれたのが、十日目ぐらいで「この野郎ッ」なんて、露助からお金とってますからね。

なんという逞しさ。脱帽。感服。尊敬であります。