昭和史の論点

昭和史の論点 (文春新書)

昭和史の論点 (文春新書)

P186
太平洋戦争では250万人の日本兵が亡くなりましたが、そのうち七割ぐらいが広い意味での餓死なんです。こういう戦争は他には類例を見ません…ただし、同じ日本軍の中で、餓死するような悲惨な戦場に送り込まれた兵士がいる一方、遊兵となってぶらぶらしていたのもたくさんいて、彼らのなかにはむしろ食べすぎだった人も珍しくない…つまり、戦域があまりにも広くなりすぎたため、片方では餓死者が続出、片方では食い過ぎでぶらぶらという状況が共存していたわけです。

P187
…日本の陸軍は歩いてばかりいたことも特徴でしょう…第三十七師団は、開戦時、中国の山西省にいて、終戦時はマレー北部まで移動するんです…495日かかって1万400km.も歩いている…ほとんど歩いている間に戦争が終わったようなものなんですね。そのため陸軍の七割が主戦場には参加せず、遊兵のままであったというのも、他に例を見ない特異な状況だと思います。

P189
兵站参謀が、このままでは補給が無理だから作戦日を遅らせることができないか具申しても、とにかく行け、行けば何とかなると押し切られる…そのとき、「そうですね、行けば何とかなりますね」と調子を合わせた人が次には作戦参謀に出世し、「補給上無理であります」と突っぱねた人は、「そんな弱気なことをいう奴は引っ込んでいろ」と左遷されるから、組織はどんどん硬直します。

P193
アッツ島の玉砕では、もう食べるものも弾薬もないという状況になって、アメリカ兵が「頼むからギブアップしてくれ」というのに、日本兵は、途中で怯むことのないようにと、仲間たちみんなでお互いの脚を縛って突撃していったケースもあります…中国には督戦隊というのがいて、逃げようとする自軍の兵士を後ろから撃ちました。ソ連にも政治将校と督戦隊がいた。日本はそのどちらもいないのにあれほど強かったというのは、特筆に値することだと思いますね。

P195
戦艦大和零戦酸素魚雷というものすごい兵器を国産で作ったというのは事実ですが、裏返すと、その中身のパテントはすべて外国製です…零戦の機銃は「恵式」、エンジンは「光」「寿」…「光」はライト社、「寿」はジュピター社、「恵式」はエリコン社のライセンス生産ということなんです。

P197
私は太平洋戦争期を通じて、最大の「詐欺師」は731部隊長の石井四郎中将だと思います。彼には凶悪な細菌兵器を作ったというイメージがありますが、実用兵器にはならなかった。毎年、東京帝大並みの予算をつぎ込んだにもかかわらずです。