死刑

昔「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という映画が、主演のビョークという歌手の素晴らしい歌と共に話題になりました。
歌には大層感動しました。

ただ映画の内容があまりにも不自然で、世の多くの人が「感動した!」とボロボロ泣いていることにはかなりの違和感を持ちました。
死刑に関する部分がものすごーく変だったからです。

7日に刑を執行された死刑囚3人に対する確定判決の認定事実要旨

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071207/trl0712071305008-n1.htm

【藤間静波死刑囚】
 藤間死刑囚は昭和57年、神奈川県藤沢市の女子高生=当時(16)=に交際を断られたことを逆恨みして自宅に押し入り、女子高生と妹=同(13)、母=同(45)=を次々に刺殺。犯行の手助けをした少年=同(19)=も兵庫県尼崎市で刺殺した。56年には金銭トラブルから神奈川県鎌倉市の男性=同(20)=を横浜市内で殺害した。

【池本登死刑囚】
 池本死刑囚は昭和60年6月、徳島県日和佐町(当時)に住んでいた親類の男性=当時(46)=とその妻=同(54)=が自分の畑にゴミを捨てたと思い込み、狩猟用の散弾銃を持ち親類宅に押し掛け、夫婦を射殺。さらに以前から恨みを持っていた男性=同(71)=も近くの路上で射殺した。

【府川博樹死刑囚】
 府川死刑囚は同居中のホステスをクラブから辞めさせる資金を得ようと計画。平成11年4月19日夕、新聞勧誘で知り合った東京都江戸川区の女性=当時(65)=に借金の申し入れをしたが断られたため、女性と母親=同(91)=を刺殺、現金を見つけられず逃走した。

何が死に値する罪なのかを

決めることはそりゃ根本的にはできません。
しかし、上記のような人々とは共存できませんから、何らかの形で排除しなくてはなりません。
そこで終身刑にすればよい、という意見があるのですが、上記のような犯罪を行った人間が税金で養われて人生を全うするようなことは誰も納得できません。
だからこそ死刑を容認する意見が多数を占めるわけで、その意味では民主的と言えます。
私たち大衆の感情が正しいとは限らず、暴走することもしばしばあるのですから民主的なら良いとは言えないのですが、日本のように判決まで異様に長い時間をかけ、死刑が確定してからも何年も何十年も生きられる現状がそれほど軽率とは言えないように思います。
また、現実には上記のような突出した犯罪を犯さなければ死刑にはなかなかならないわけで、映画のように同情すべき事情があって過失によって犯した犯罪で簡単に死刑になるようなことはないのです。

冤罪の問題

死刑にしてしまうと、判決に至るプロセスで間違いや不正があった場合に取り返しがつきません。
ただそれは再審への道を開いておくことを議論すれば良いように思います。日本の場合すぐには刑が執行されませんから時間はあるでしょう。
死刑が取り返しのつかない間違いをもたらす危険性をはらんでいるのは確かですが、逆の場合もあります。
はてなブックマーク - 小野悦男事件
この事件の場合、冤罪と認定したことが間違っていたことで、新たな犠牲者を出すという取り返しのつかない結果を招きました。この場合も誰も責任がとれないし、とったという話も知りません。
死刑に反対する場合、間違って冤罪と認定して犯罪者を野放しにする危険性や、軽すぎる刑罰によって再犯を許して犠牲者を増やす危険性をセットで論じないと、なかなか説得力がないように思います。