あの戦争になぜ負けたのか

読書ノート

P60 ミッドウェー作戦を実行するかどうかについて
連合艦隊の渡辺安次参謀は「山本長官はこの海戦を承認しなかったら辞職するとおっしゃっています」と情に訴えてくる。そこで軍令部の担当部長だった福留は「いや、もう長官がそこまでおっしゃるなら」と会議を打ち切り、結論を作戦遂行へと強引に持っていってしまった。つまり、国運を賭けた大作戦をやるか否か、という極めて高度で冷徹な判断を迫られる場においてまで、「合理性の議論」ではなく「お友達の論理」が基準となったのです。

P99 辻政信、服部卓四郎、武藤章東条英機らについて
…観念的には物量作戦を重視していたにもかかわらず、実際の戦争では補給を無視した。特に太平洋の島々で補給線が途絶えれば、部隊の大半は病死、餓死してしまう。実際、昭和十九年以降、百五十万から二百万近くの兵隊が補給線が絶たれたことで命を落としている。

P132
無産政党のほうが、資本家階級よりも、戦争には積極的でした。満州事変に真っ先に賛成したのも、社会主義者たちです。戦争は雇用を増やしますからね。

P138
昭和十三年の国家総動員法に対して、政友会も民政党もなんとか制限を加えようとがんばるのですが、先頭に立って賛成したのが左翼の社会大衆党なんですね。

P157
そもそも最初から、日本の軍部は非合理的です。たとえば、軍令部長永野修身と、山本五十六連合艦隊司令長官は、開戦前からいちどもとっくり話したことがない。日本海軍の戦略・戦術の総本山の責任者と、それを実行する連合艦隊司令長官とが、何の打ち合わせもしない理由とは何か。「お互いに嫌いだから」。感情論だけなんです。

P172
陸大の成績が下位の者が、補給を担当する「兵站参謀」になるといわれていました。成績優秀なやつほど作戦参謀や情報参謀になるから、兵站参謀をバカにして、補給の話なんてろくに聞いてないんです。

P175
日本の海軍では、輸送船をいくら沈めてもスコアにならない。軍艦を沈めないと、金鵄勲章のスコアにならないんです。これが頭のなかにキッチリあるから、巡洋艦を沈めて満足する。危険をおかして輸送船を沈めようとはしない。

 牟田口廉也インパール作戦
P182
僕は長年、元兵士たちの声をかなり聞いてきましたが、インパール作戦に参加した人に会うと、みんな数珠を握りしめながら話すんです。インドからビルマへ、仲間たちの死体で埋め尽くされた「白骨街道」を引き上げてきた無念の思いでしょう。
そして、牟田口司令官の名前が出ると、元兵士の誰もがブルブル身を震わせて怒るんです。「牟田口が畳の上で死んだのだけは許せない」とまで言い切ります。
P190
でも実際のところ牟田口司令官はインドの独立はどうでもよくて、自分の勲章ほしさにインパール作戦にのりだしたんです。しかも東条英機チャンドラ・ボースへの義理で、誰もが反対する作戦を許可したという。