批判するだけじゃなくて攻めていかないと

ケータイ小説 - Wikipedia
人生において小説の占める重要性が低下している現在、自分が小説を読むとすると、それは筒井康隆さんの作品のように読むだけでさまざまな示唆が得られるような水準のものでしかありえないのですけれども、最近流行しているケータイ小説批判はどことなく脆弱な印象を受けます。
ケータイ小説は確かにレベルが低いのだけれども、耳目をひき、多額の利益をあげているジャンルであることは確かであり、その意味で強力なジャンルになっています。
そういう現実がある以上、「売れているけれどもレベルが低い」という批判は何の対抗手段にもなり得ていない。そういうことに終始している点が脆弱なんですよね。
ケータイ小説の今のあり方について「なってない」と思うなら、その人はケータイ小説を書くべきなんですよね。そこで大成功はせずとも、何人かでも読者を獲得して「こうあるべき」小説を提示できるなら、それこそ社会の教養水準なり小説のレベル維持なりに貢献できるというものです。
昨今の中高生に対して「そんなものばかり摂取しているんじゃない」と思うなら、中高生に対して幾らかでもアピールできる表現物を創造したらよいと思います。