どうしてこうもまあ平等とか

言いたがる人が多いのかよくわからない。
自分が差別された時に「平等にすべきだ」といいたくなるのはわかりますし、そう主張すべきですが、「みんな平等なんだからあらゆる差異をなくして民族や国家への帰属意識アイデンティティも放棄すべきだ」とまで飛躍する論理がどうにも理解しがたいものがあります。
地球上のどこの誰とも同じで区別すべきでないというのなら、その人は日本にいる必然性がないのですから、日本にいて豊かで安穏とした生活を続けるなどせず、地球上のどこかで貧しく悲惨な生活をしている人と共に生きる選択をしてもよいわけですが、どういうわけかそのような選択は金輪際しないのですね。
日本人としてカテゴライズされて、公共サービスを受け、豊かな社会で働く資格を得ていながら、「日本人としてのアイデンティティなどいらない。有害。」とぬかすわけですね。日本にいるということは、ほかの日本人のサポートの上に乗っかって生活しているという自覚がないのでしょう。
地球上にはスーダンとかソマリアとか「同じ人間」が「運営」する社会があるのですから、そこで得られる「サービス」なり「サポート」なりを受けて生活してみたらどうなんでしょうね。