人間の多面性について
読書しております。
- 作者: ジャレド・ダイアモンド,楡井浩一
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2005/12/21
- メディア: 単行本
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下巻に突入しました。
私たちは無意識のうちに、人間を単純に”善”か”悪”かに色分けし、ある人物が徳性を備えているなら、その人物の行動のあらゆる面にそれが輝き出るはずだと考える。
逆にいうと、何か一つ気に食わないことがあると、簡単に全否定するということです。
他人に対して過度の高潔さを求める人には付き合いきれないですよね。
こういう行動は諌められてしかるべきなのですが、大人ですらこの手のことをわきまえてないことが多いです。
相手の中に高潔で賞賛すべき面をひとつでも見つけると、別の面では違うとわかったときに困惑を覚える。
例えばピカソは全体主義や暴力を嫌悪しましたけれども、女に対しては大層酷い振る舞いをしましたね。
この2つの面のどちらを重視するかは受け取り手の問題であって、ピカソ自身がひたすら善き人間であるとか悪しき人間であるとかいう話の持って行きかたは筋違いということです。
人間は首尾一貫した存在ではなく、たいていは相互に関係のないさまざまな経験で形作られた特性の寄せ集めなのだとは、なかなか認識できない。
認識できない人にだけ囲まれていると本当に息苦しくて仕方ないです。
人への評価をほどほどにしておけないのは優しさに欠けているのですよね。
「許されることの少ない者は愛することを知らない」とイエスが仰ってますけれども、核心を衝いたお言葉です。
許されて育った人と許されずに育った人の対照は実にはっきりしています。
向き合っているこちらがリラックスできるのは許されて育った人。
許されて育った人と向かい合っていると、ちょっとやそっとのことではこちらを悪く思われることがない、と安心できます。