高橋洋一が馬脚(しかし追及しきれず)

不完全燃焼のプライムニュース。

話題を消費税の使い道に限定した故に高橋洋一のバカ発言を批判しきれず。
テーマを限定するのは仕方ないとは思いますが、それをやってしまうとマクロを論じることができないんですよね。
消費税の使い道はミクロの話題ですが、消費税や政府債務の影響はマクロの話題で、両者は密接に関連します。
「ミクロとマクロは別」などと言って峻別するのはリフレ派くらいなもので、頭が悪いからそうなっているだけ。
リフレ派の主張を真に受けるとマスコミにおける議論の質がどんどん低下します。
あとはまぁ、こういう番組ではおそらく、「他の出演者をボコボコにするのはやめてください」という制止が入っていますね。
私は土居教授の書いたものをわりと読みますが、土居教授が何の制約もなしに議論したら高橋洋一は相手にならないくらい論破されます。
高橋洋一が分かりもしないのにシムズの名前を出していますが、FTPLの解説を日本で最初期に行ったのは土居教授ですから。

「政府債務は資産も勘定に入れろ」云々

高橋洋一はこのアホな話を永久に繰り返すつもりらしいですが、政府資産があって問題ないなら、さっさと売ればいいのに、と思います。
政府資産をさっさと売り払って政府債務残高を減らせば利払いも減るわけで。
それをやらないのは安倍政権が怠慢だから、ということになってしまいますよ。
しかし実際は、売れるような政府資産は無いんですよ。これは財務省がすでに言及済みで、私も過去に何度もリンクを貼りました。
この話は家を買う譬えで考えるとわかりやすいのですが、もともと家に住みたくて家という資産をわざわざ借金してまで購入したのに、首が回らなくなって家を売って借金を返したら、家に住むという資産購入の目的が達成できなくなるので、意味のない行為になってしまいます。
「家を売れば借金が消えて万歳」というバカ話のバカさ加減が分からないのが高橋洋一なんですが、その自覚がないんですよね。思い上がりが酷すぎて。
政府資産の大半が売れないのは、資産として利用できなくなるからです。
政府が持っているものは何でも売って借金の引き当てにしてしまえばいいという異常なことをリフレ派は平気で言いますが、だったら水道でも学校でも売ると言えば良いんですよ。
しかしリフレ派は人々の盲目的な支持だけが頼りなので、経済学に疎い人たちから感覚的に反対されるようなことは決して言いません。実に汚い連中です。

日銀保有債務を売る

高橋洋一が最も馬脚を現したのはこの点で、「インフレ率が上がった世界では税収が上がっているので日銀保有債務の償却は問題ない」と発言しています。
高橋はこれまで、「日銀が買った債務は消えたのと同じ。永久乗換できる」と主張してきましたが、今回のプライムニュースでは、インフレ率が上がった世の中では日銀保有債務を返さなければならず、そのための財源には困らないということを言っています。
しかも、自分の発言の矛盾に気づかず、鼻をうごめかせながらとくとくとしゃべくっています。
リフレ派もついに、日銀保有債務が結局は債務だと公の場で認めたことになります。

「教育は投資だから借金でまかなう」

教育が投資だというのは世間では譬えとして言われるだけであって、教育は投資ではありません。
高橋洋一の思考法はいつもこんな感じで、似たところがあると同じだと短絡してしまいます。比喩の理解すらできない人間だということです。
教育がもし投資であるなら、当事者の所得につながらない教育や、社会の生産増加につながらない教育はするな、ということになってしまいます。
そもそも、どの教育が所得や生産の増加につながるかなど誰にもわかりません。
一般的には図工や漢文を習っても所得や生産を増やすことにはつながりませんが、1000人に一人か一万人に一人かは所得や生産を増加させるでしょう。
この場合、費用対効果は圧倒的に赤字ですが、それでも有益な投資だと言えるのでしょうか?
私は言えないと思います。
しかし、教育は投資ではなく、人間形成に関わる素養だと(ごく普通に)考えれば、図工も漢文も教えれば良いという話になります。

教育無償化には疑問

私は教育無償化には反対で、社会や経済に意味のある政策だとは思えません。
プライムニュースに出ていた教育財政学の人は真面目に議論していたと思いますが、教育が貧困児童を救うという考えは奇妙です。
教育が子供を貧困の連鎖から救うのであれば、幼児保育から大学まで全部義務教育にして、国民全員を大卒にしてしまえば良いでしょう。
しかし、この極論で考えれば簡単にわかるとおり、全員が大卒の素養を持ったとしても、その社会には大卒の運送業者とか大卒のパチンコ店員が登場するだけであり、大卒資格の供給増加で大卒勤労者の競争が激化し、給与水準が下がり、うまくやった人とそうでない人の格差は維持されます。
これを逆に考えても同じです。
教育の有無が貧困を生むなら、現状で大学進学率は半分しかないのですから、日本人の半分は貧困に陥っているはずです。
しかし実際には児童の貧困率は16パーセントでしかなく、しかもそれは相対貧困率です。相対的貧困がなくなる社会など存在しません。
教育の有無は貧困を生む要因の一つにすぎないという、ごく普通の洞察がここから出てくるのであり、今の日本の教育制度でも子供を貧困から救う機会としては十分だと思わなければ変な話になってしまいます。
教育に財政資金をつぎ込むよりは、貧困に陥っている当人に資金を与える方がよく、それを使って教育を受けるかどうかは個々の家庭、個々人の意思次第だと思います。
親が子供の教育に無関心であれば、教育制度に資金を投じても無意味ですし、当人が勉強に向いていなければやはり無意味です。
やらない人はやりません。