財政赤字へのクルーグマン氏の見解

経済学には様々な学派や思想があって、「ミクロ、マクロ、計量だけを経済学とするのには反対だ」という意見があります。この3つだけでも相当な分量ですが…
しかし、世間的に経済学という場合、それは大学で教えているような「標準経済学」を指すはずで、そうでなければ「○○経済学」と名のつく多数の思想のどれを指しているのか分かりません。
そんなことでは何を参照しているのか不明瞭になってしまいます。
「これが経済学だ」という場合には標準経済学を指すべきであって、そうでないなら、たとえば「行動経済学だ」とか「進化経済学だ」などと特定して根拠とすべきでしょう。
財政赤字についてクルーグマン氏の教科書をこれから参照しますが、標準経済学である以上、内容は予測がつきます。学校で使用されているものはどれでも中身に大差ないでしょう。
しかし、在野リフレ派とそれに連なる積極財政主義者が「クルーグマンを読めば経済学が分かる」だの「自分たちの主張は経済学的な根拠がある」だのと述べているのはデタラメであり、デマカセでありウソであり、専門書や論文はおろか教科書すら読んでいないことを確認するためにもクルーグマン氏の財政赤字への見解をみておきましょう。

ルーグマン マクロ経済学

クルーグマンマクロ経済学

クルーグマンマクロ経済学

p360〜
財政赤字を懸念すべき2つの理由
1 政府が資金を借り入れることで、民間の投資支出をクラウドアウトして、長期の成長率が下がる。
2 政府債務の増加は将来の予算に圧迫を加える。政府は累積債務の利子を払わなければならない。
利払いが増えると、税収を増加させるか支出の削減を行わなければならない。あるいは更に借り入れを増加させる必要がある。
このプロセスが進むと貸し手は政府の返済能力に疑いを抱く状況に至る。

やたらとクルーグマン氏の名前を出して自分の主張を正当化する人の中で、ほかの学問分野の専門家もいますが、その人がいうには利払いなんぞ気にする必要はなく、それで国民生活に影響がでることなんてない、これが経済学であるし、分からない者は馬鹿だ、とツイートしているのを見ました。
そのツイートをリツイートしている代表的在野リフレ派もいました。
しかし、多くの標準経済学の教科書と同じように、クルーグマン氏のそれでも同じ弊害が説明されています。
ほかの学問分野の専門家なのに何故か経済学でも専門家づらしたがるその人も含めて、クルーグマン氏の権威を借りて自己正当化を図る人の大半は氏の教科書をまったく読んでいないようです。
そんな調子でどうやって「経済学がわかる」のでしょうか?
クルーグマン氏が書いた一般書を斜め読みしているだけなのではありませんか?
どうしてそんなにハッタリをかましたがるのでしょう?
ネットで尊敬されるのがそんなに重要ですか?
世間に誤った思想を広めて政策に悪影響を与えてまで虚名が必要なのでしょうか。

貨幣を発行して支払いに当てるとインフレが発生する。深刻なインフレは財政問題が主な原因である。

これもお馴染みの説明です。
在野リフレ派はマネタリーベースを永久に減らさなくても弊害がないと主張するようになっていますが、それは標準経済学ではないですね。
参照元はどこなのでしょう?
思いつき以上の根拠があるのでしょうか。

不況期の対策として財政政策を行うのは構わないが、経済が良好な年の財政黒字で埋め合わせる試みが必要である。
日本の債務/GDP比率に対して一部の経済アナリストは懸念を表明している。

ここも在野リフレ派と食い違うところです。
クルーグマン氏は、経済が良い時には財政黒字を出せ、と普通のことを教えていますが、在野リフレ派は「プライマリーバランスは無意味だ」と主張しています。
また、日本の財政状態に対して懸念があるとクルーグマン氏は教えていますが、在野リフレ派は「問題ない」としています。
日本のクルーグマン支持者は、クルーグマンの教えを学ばずに「支持」しているんですね。
何を支持しているのでしょう。

財政政策は総需要を刺激するのに有効だが、唯一の手段ではない。多くの経済学者は裁量的財政政策の有効性には懐疑的だ。それは政策の立案と実行にタイムラグがあるからだ。金融政策がもう一つの重要な選択肢だ。

在野リフレ派は「総需要不足だから財政政策が必要だ。金融政策では足りない」とか「金融政策は雇用に効き、財政政策はGDPに効く」などと述べていますが、クルーグマン氏の教科書では金融政策が総需要に効く、と教えています。
標準経済学ですから当たり前なんですけどね。
在野リフレ派の言っていることが標準経済学に根ざしていないというだけで。
在野リフレ派とそれに連なる積極財政主義者が言うところの「経済学」とは一体なんなのでしょう?
少なくとも普通に入手できる教科書、つまり標準経済学の教科書には書いていない内容のはずです。
そんな特殊なものをどこで学んだのか?
在野リフレ派とそれに連なる積極財政主義者は出典を明らかにするべきではないでしょうか。
非常に特殊な思想を「経済学」と称して世間に広めるのは不適切だと思います。
常識的には「経済学」といえば「標準経済学」であるべきであって、それ以外のものは「経済思想」というべきでしょう。
学問として一般性を認められていないものを「経済学」というのは広い意味ではウソをついていることになります。