2015年:安全保障がメインか


あけましておめでとうございます。
今年も日本の回復と、日本国民の幸福を願ってエントリを書いていこうと思います。
個人的な関心事は経済にあるので安全保障関係にはあまりアンテナをはっていないのですが、2015年は経済全体は回復への巡航速度にのるための過程になり、大きな変更はないだろうと思いますので、国内・国外についての安全保障関係の話が話題になっていくのかな、と考えます。
もちろん、日銀人事が3月、6月にあるので、ここでもまたマスコミを動員した謀略が展開されて、ハラハラするような展開になろうとは思うのですが、デフレ脱却のこの流れを中断させるようなことを自民党の「残りの部分」が今更やるのですかね。
消費再増税を阻まれた財務省がその怨念を自民党のコウモリ議員とマスコミを利用して日銀人事で晴らす、一般国民はその重要性が分からないので関心すら持たない、というシナリオは、確かに有りうる危険ですが、消費再増税という、財務省にとっての重要事項を阻むことができた安倍政権ですから、その危険シナリオも回避できるんじゃないかと予想するんですけどね。
(日銀人事を正しく行う見返りを自民党の「残りの部分」や公明党は求めてくるでしょうから、軽減税率のような、一般国民にとっては非効率な、既得権にとっては美味しい何事かを政権は提供することになるのでしょうけれども。)
経済全体が回復基調に乗っていくと思われる中で、次に私が気になるのは日本経済における不公正・不平等・非効率、ということであって、何かと評判の悪い構造改革に関心の中心を移していこうと思います。
構造改革はマスコミの手で何年間にも渡りdisられているので、悪い評判がすっかり定着してしまいましたが、実際にはそれは必要であり、再分配政策とも必要性の根拠は通じるのだ、ということを主張していきたいと思います。

日本経済の不公正・不平等・非効率

私がぱっと思いつく、不公正・不平等・非効率の重要分野はこんな感じ。

  1. 中央集権制
  2. 社会保障
  3. マスコミ
  4. 農業
  5. 財政


今挙げた分野は相互に関係していて、被っている部分もあるのでジャンル分けするのが不適当でもあるのですが、話をすすめるために一応分けました。
日本社会は不公正・不平等・非効率がかなり蔓延していて、「普通」だと思われてさえいる感じです。ですから、このジャンル分けには収まらない重要テーマは次から次へと思いついていくことになります。
とっさに頭に浮かぶだけでもこんなにある、ということです。
また、中央集権制は単なる経済問題ではありませんが、そこから下の4つの問題点の淵源でありますから、これは道州制・連邦制へと変革していくことを求めたいですね。めちゃくちゃ大きな話題なので、安倍政権でやれ、というのはまったく不適切ではあります。

造改革派はリフレ支持層とは相性が悪い

構造改革派は財政再建派と親和性が高いのですが、彼らに共通するのは消費税に賛成する、ということであります。
これはリフレ支持層とは決定的に相容れない。
リフレ支持層は、論者が構造改革派である、財政再建派である、というだけで、その主張を読もうとはしないようです。
ですから、リフレ・クラスタの人たちが構造改革財政再建について述べている否定的な意見を読むと、まぁちょっとステレオタイプかな、と思うことが多いです。
ただ、構造改革派でも竹中平蔵は基本的には消費税に反対ですし、社会保障問題を論じている鈴木亘教授も消費税賛成ではなくなったので、アベノミクスの経緯を見ることによって、より多くの改革派・再建派が消費増税不要派になることは有り得る話だとは思うので、全面拒否をすることもなかろうと思います。

造改革はデフレを助長するか?

この話は岩田副総裁も述べておられることではあるのですが、リフレ本を読むようになり、経済記事を読むようになってから何年も経ってみると、これは理論上の可能性の話なのだろうと思うようになりました。
構造改革が供給力・供給効率アップをもたらすと理屈の上ではデフレを助長することになるとは思いますが、現実にはデフレをもたらすほどの「大成果」を挙げることはできないでしょう。
構造改革は既得権の優位性を失わせることによって経済を効率化させる政策なので、そこでの抵抗はものすごいものがあります。構造改革をすると政権が危うくなるというのはその辺が理由。
古くは共和制ローマ時代のグラックス兄弟が土地制度改革をやろうとしましたが、殺されてしまいましたからね。そのくらいの憎悪を浴びることになります。
そう考えると構造改革はそうやすやすとは進められないものなのであって、話し合いに何年もかかり、その変革の程度は微々たるものであり、その実行にも何ヶ月、何年もかかり、成果がでるのはさらに先、という代物ですから、デフレを助長するようなことは実際には起こらないでしょう。
金融政策の効果が出るのに時間がかかる、ということはよく言われますが、構造改革の成果が上がるまでにはもっと時間がかかります。
郵政民営化の経緯を例として思い浮かべてみるとよくわかると思います。あれは未だに不十分な程度にしか改革できていませんね。
日本はまだデフレ脱却の途上ですが、構造改革の話し合いは今から始めておかないと、いつまで経っても進められないということになってしまいます。

政再建は不要なのか?

デフレ脱却は確かに最優先事項ではあるのですが、その主張の勢いのあまり、財政再建不要論のようなものが語られることがあって、それはどうかな、と思っています。
政府債務は名目GDPに占める割合を低下させれば良いのだから、成長優先の政策をとればよい、成長のためには財政支出をすればよい、という意見もあるわけですが、これについては幾つか疑問があります。
まず、アベノミクス支援のブロギングを通じて、割と最近ではありますが、財政政策がデフレ脱却や景気回復に果たす役割に疑念を持つようになりました。
財政政策が人々の経済活動を後押しする、というのは自明の前提のように語られているわけですが、まぁ確かに一時的に、政府支出をしたその時だけは後押ししていると思いますが、持続性が見られないな、と感じます。
デフレ脱却・景気回復はどうも、その時だけ盛り上がってもダメなんじゃないかと観察しています。
一般会計だけの話ですが、日本は2009年以降、財政規模が100兆円を超えています。にも関わらず、多くの人が知っているとおり、日本のGDPは伸びませんでした。
小泉〜安倍期には予算は80兆円台であり、やや緊縮財政気味でしたが、じわじわとGDPは伸びました。
これらのデータは公開されているのですから、検索して欲しいと思います。
http://jp.ecodb.net/country/
要するに、デフレ脱却・景気回復に対して、財政政策は効き目が悪いと思うようになったわけです。
効き目の悪いことを、政府債務を増やしながらやるべきなのか、という疑問が湧いているのです。
また、政府債務を増やすと、それは税金を徴収して、利子つきで返すことになります。
日本国民の中で、国債を買った人に対して、買っていない人がカネを払うということになります。
国債を買える人・企業は当然のことながらカネを元々持っていたわけで、その人たちに対して、必ずしも裕福でない日本国民がカネを渡さなければならないという図式になるわけで、いくら経済成長のためとはいえ、そういう不公平な所得移転をしてよいものか、という疑問が二つ目に挙がります。
三点目として、非効率な仕組み・政策があっても、成長すればなんとかなる、だから成長優先なのだ、という主張にも問題を感じます。
非効率な社会であっても金融政策の活用によって成長できている例としてはイギリスが確かに挙げられます。
しかし、社会の仕組みが不公正・不平等・非効率であるのに、それを成長で覆い隠すということをやってしまうと、それらの悪い仕組みを是正しようという動機がなくなってしまいます。
田中角栄以降の日本経済は不公正・不平等・非効率がひどくなりましたが、それが40年も温存されてきたのは、経済がうまく回ってしまったからであって、そのツケが今になって出てしまっています。
社会保障が破綻しかかっているのは角栄がバラマキを始めたせいですが、他に破綻しかかっている分野を調べてみたら、それらも角栄が無責任にバラマキをやったからである、という事例がゴロゴロでてくるんじゃないかと思いますね。
しかし、あのように調子よく無責任な言動をする人間の人気が出てしまうのが日本社会というもの。
卑近な例を考えてみてもそんなもんでしょう。
そういう人間が始めた愚行は、真面目で地味で、他人の反感を買ってでも正しいことをしたい、という人間が損をしながら正さなくてはならないのです。
そうしないと社会が壊れますから。
そのようなわけで、私は基本的には経済成長を主眼におくべきだと思いつつも、さらに日本経済、ひいては日本社会を安定して存続させるためには構造改革・財政改革が必要であると思い、今後はそのへんを読んでいこうと考えているわけです。
しかし、ジャンルが幅広く、正直言ってつまらないので、読書の努力は大変なものになりそうです。