三橋貴明が既得権益の擁護に失敗

既得権益擁護派の特徴は、「自分たちの都合を1ミリも譲らない」ことであります。これは世の東西を問いません。
利権を寸分たりとも譲りたくないあまりにデマを流したり政治過程に介入したりといったレントシーキングを活発に行いますが、その結果、一般国民や社会環境、自然環境に迷惑をかけながら、自分たちの利権の原資も衰退させていきます。
農業然り、公共事業然り、社会保障然り、消費税然り、デフレ然り。
日本の場合、平たく言うと官僚が利権に関わっているところはそうなるわけですが、まずいことに目立ったところには全て官僚が関わっているので社会全体がガタピシと歪んだ音をあげているわけであります。
産経新聞に取り上げられただけで満足すれば良いものを、自己正当化を完璧にしたくてたまらない三橋貴明が、余計なブログエントリをあげて、またしても墓穴をほっております。
グレイブディガー三橋、ってちょっとカッコいいですね。

クシー価格規制

 −−平成14年の参入緩和について
 「経済状況によって規制緩和が正しいか正しくないかが決まるが、14年当時はデフレ下で需要不足であり、供給過剰状態のときにタクシーの参入規制を緩和したのはまずかった。結果的に料金は下がったが、競争が異様に激化してタクシー運転手の貧困化を招いてしまった。消費者としてはいい話かもしれないが、事業者側からの目線も必要だ。その点で今回、規制のあり方を見直すのは当然だといえる」
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11896884277.html

「デフレ下で規制緩和するのはまずいこともある」と三橋は言っていますが、だったらいまは異次元緩和をしているのですから、規制強化しなくて良いはずですね。辻褄が合いません。

 −−今回の規制強化は評価できると
 「働く人たちの所得が増えていくのが正しい政策のあり方で、そのためにある程度、料金が上がるのはやむを得ないだろう。デフレが長く続いた結果、日本人は『価格は下がるもの』と思っている人が多いが、基本的に価格は上がるもの。ここ20年、タクシー料金がほとんど変わっていないのは異常なことで、何でも『安ければいい』との考えはやめるべきだ」(後略)』

おっと、毎度おなじみゴマカシTALKです。
この所得は名目かな?実質かな?
三橋はふだん実質賃金の低下を問題にしていますが、ここでは名目所得を問題にしていますね。
おっかしいなあ。
もし、「タクシー以外の移動手段がない住民」という特殊な人がいたとしたら、タクシー料金の上昇は、その特殊住民の実質所得を低下させてしまうのですけれども、それは経世済民なのでしょうか。
この引用の後段も問題で、三橋の言う「価格は上がるもの」って、それは名目でしょ?
戦後すぐの時期より、バナナでもジーパンでも、私たちは気楽に買えるようになっていますが、それはバナナやジーパンの実質価格が下がっているからで、名目価格の上昇はどうでも良い話ですわな。
人々の名目所得に占める、モノやサービスの名目価格の比率を下げることが、人々の生活水準を向上させるわけですが、三橋が擁護するタクシー料金の政府介入による値上げは、人々の生活水準を下げてしまいましたね。
得をしたのはタクシー業界という狭い範囲にいる人々だけです。
こういうのを既得権益といいます。
農業でも公共事業でも社会保障でもおんなじ。
三橋が擁護する対象の性質はみんなおんなじ。

ービス業の生産性

 国内はともかく、国外まで「一物一価」となりますと、これは先進国にとって不利な話になるわけです。何しろ、物価と所得は連動します。厳密に書くと、
「モノやサービスが生産され、消費・投資として購入されたときの金額が所得」
 でございますので、グローバルに一物一価ということで、日本の製品価格が中国に近づいていくと、必然、日本国民の所得も下がらざるを得ません。すなわち、底辺への競争です。

またも登場、三橋の得意技、「物価と価格の意図的な混同」。
メディアを通じて一般国民へ間違った概念を注入する使命を果たすことに余念がありません。
物価が上昇していても、あるモノの価格が低下することはあるでしょう。その場合、賃金が下がったりリストラされたりするのは、その業界の人々であって、日本国民全体ではありません。ここ重要。
ある業界の利害は、日本国民全体の利害とは別物です。
ここを理解しておかないと、既得権益プロパガンダにだまされます。既得権益プロパガンダは日本特有の現象ではなく、どこの国にもあり、経済政策を歪める元凶となっています。
貿易や新しい技術の導入によって、或るモノの価格が低下すると、確かにその分野では雇用が減る可能性があります。しかし、そういう場合でも経済全体が活発であれば、別の産業に移ることができます。そのためには、労働者が他の産業に移りやすくする構造改革や、需要を安定させる金融政策の組み合わせが必要になるわけです。
臨時の公的雇用をしながら転職に必要な教育を施す、といった財政政策も有益だと思います。
政府にやる気がありさえすれば、効率を良くすることと、人々の生活を守ることは両立可能です。
それがなかなか実行されないのは、政治家や官僚が自分たちの利権にカネを引っ張ることを最優先しているからで、構造改革(規制改革)が悪いわけではありません。

 とはいえ、本日、問題にしたいのは製品(モノ)ではなく、サービスです。サービスについてまで、グローバルな一物一価を目指す必要があるのでしょうか。タクシーの規制緩和を主張する人たちは、
「日本のタクシーの初乗り料金はアメリカと比べると高い!」
 と、批判します。が、なぜか初乗り料金約2000円のスウェーデン等とは比較しません。不思議、不思議。

まず、「サービス価格のグローバルな一物一価」を主張する人間が本当に存在するかどうかが怪しい。
三橋や内田樹はよく、全く存在しない「敵」が存在するかのような前提で話をすすめるので注意が必要です。
スウェーデンなどのタクシー料金が高いのか安いのか知りませんが、それで成り立っているのなら良いのでしょう。知らんがな、そんなもん。
スウェーデンなどのタクシー料金が「高い」せいで、人々がタクシーをあまり利用できず、タクシー業界が衰退しているなら、それは失敗。

例えば、タクシーでいえば、「地域住民の足」という役割も担っています。タクシーがなければ、移動もままならない住民がいたとき、「市場原理だ!」などとやってしまうと、地元からタクシー会社が消滅するでしょう。

これは逆でしょ。
三橋が想定する、「タクシーがなければ移動がままならない地域」が存在したら、そこでは料金が安くなることはないはず。
人々が必ず利用するから。
タクシーがお客さんを独占できる状況で、どうしてタクシー会社が消滅するのでしょうか。
どのような「市場原理」で?
競争相手がいないのに?
集団自殺でもするのでしょうか。

 要するに、サービスについて、地理的条件、安全保障の問題、サービスの「個別性」を無視し、一物一価制を当てはめようとするのは無理があると思うのです。しかも、サービス価格が他国よりも高いとは、
「ヒトにお金がかかる国」
 という話になります。

ここもさっきと同じですが、名目所得の話をしています。三橋のテーマって実質賃金じゃなかったのかな?
三橋提案の、「実質賃金目標」はどこいった?
サービス価格を政府の力で高止まりさせると、実質賃金は下がるよ?

質賃金どこいった

 素晴らしいじゃありませんか。ヒトが動くサービスにお金がかかり、サービスに従事する生産者の所得が増え、国内需要が活性化する。結果的に、我が国は内需中心の経済成長を達成することができます。といいますか、実際にしてきました。

三橋の脳がどうなっているのか分かりませんが、国民が生産する各種のサービス価格がみんな高止まりしていて、国民おたがいの名目所得が高い場合、需要は増えないでしょ。
名目所得が高い一方で、サービスの名目価格が高いのですから、「よりたくさん買いましょう」なんて気持ちにはならないでしょう、基本的に。
その状態でよりたくさん買うとしたら貨幣錯覚を起こしている場合ですが、それはまぁあり得ますね。
しかし、名目所得が上がらなくても、サービスの名目価格が下がれば、人々はよりたくさん消費して、生活水準を上げることができます。
企業側も、価格を下げる一方でよりたくさん売れるのですから、損はしません。
だとしたら、極力リストラや賃金低下を引き起こさないようにサービスの名目価格を下げる道を探るのが正しい姿勢であって、その一つが構造改革であるはずですが、三橋は反対してしまうんですね、なぜか。
生産性の向上で名目価格が低下するなら、それは良いことですよね。

今後の日本が、サービスに従事する生産者の人件費が上昇していく環境になり、さらに各企業、人材の生産性向上の努力を高めれば、経済は成長するでしょう。

生産性上昇で賃金が上がることもありますが、雇用を増やす選択をしたり、名目価格を下げる選択をしてもいいんじゃないの?
どうして名目賃金の上昇にこだわるのでしょうね。
三橋の目標は実質賃金の上昇じゃなかったのかいな。
名目賃金の額と生活水準は別物ですよ?
名目賃金が上がるの上がらないのということに、異様に大騒ぎする人が昨今増えていますが、どの企業でも他の企業と競争しているんですから、そう簡単に賃金が上がるわけないじゃないですか。
儲かったときに、賃金を上げるより製品価格を下げる選択をする企業があっても、だから悪徳ということにはなりません。

それに対し、サービス業のコスト削減(≒人件費削減)を追求していくと、成長率は落ちます。しかも、サービス業の人件費削減を突き詰めると、
「賃金が安い外国人にやらせればいいじゃん」
 という発想になってしまうわけです。

生産性を向上させる際に、人件費の削減を選択する会社が多いのは確かですけれども、それはデフレ下で顕著だった話です。
いまは逆に、金融政策の成果によって人手不足の業界が出てきていますから、その流れが広がれば、悪徳な生産性向上手法はなくなるでしょう。
人件費の削減がやりにくい雇用環境になれば、企業はそれ以外の手法で生産性向上を考えざるを得なくなるでしょう。
それによって必要とされる労働者数が減る可能性もありますが、日本は人口減少社会ですから、問題になりにくいと思います。
そういう意味では私も移民には反対で、これからの日本に移民が必要だという議論の理路がいまいち分からないですね。
ただ、移民賛成だからといって、或る論者を全否定するような態度は建設的ではないとも思います。

需と外需

もっとも、「国内の人件費を抑制し、グローバルで勝つことを目指す」のか、あるいは「国内の人件費を上昇させ、内需主導で成長することを目指す」のかは、結局は価値観の問題です。

三橋がよくとる手法の一つ、「馬鹿みたいに単純な二分法」が観察されます。
三橋をはじめとした既得権擁護派は、内需と外需をきっかり分けてプロパガンダしますが、これらは厳密に分けることなんて出来ません。
輸出が増加するのは確かに外需の増加ですが、それに対応して設備投資が行われれば、それは内需の増加です。
つまり、外需の増加が内需の増加をもたらすこともあります。
また、「国内の人件費を抑制し、グローバルで勝つことを目指す」などと言っている人が本当にいるんでしょうか。国内の人件費を抑制するより、外国で生産すれば良いだけなのに、どうしてそういうまどろっこしいことをするのでしょうかね。
それに国内の人件費を抑制したって、円高になったらその悪影響の方がはるかに大きいのですから、人件費抑制なんて意味ないでしょう。
そんなバカなことを言っている企業家が本当にいるのでしょうか。
三橋は名指しで非難することも得意なのですから、ここは是非、名指しでそういう企業家を示してほしいと思います。