ケインズは古典派を全否定はしていないですよ

チャンネル桜の質の低い経済談義では、大学で講師をしているとか教授をしているとか、経済評論家であるとか経済記者であるとか自称する人たちがまるでデタラメなことを言っていて、「社会の害毒だなぁ」と私は思うわけですが、彼らは経済学に関する本は一般書ですらマトモに読んだことがないらしく、リフレーション政策・ケインズ経済学・新古典派経済学が全然別物であるかのように語っています。
こういうバカ話に乗らないためには、教科書でも新書でも何でもいいので真面目に経済学を語る学者の本を読んでみれば良いのですが、経済にそれほど関心のない人の目からみると、非常にとっつきにくい印象があるようです。
私たち一般人は、数学を使った理論を理解する必要などないのですから、文章で概略を説明している本を読めば良いだけなんですけどね。
「保守」であるはずなのに竹中平蔵批判の論点や言葉遣いが佐高信福島みずほにそっくりであるという謎を抱えた水島総三橋貴明が、「安倍政権はケインズ主義を捨てて新古典派に走った!」とか訳の分からんことを述べていますが、ケインズ自身は新古典派(の古典派理論)を全否定などしていませんよ。
http://genpaku.org/generaltheory/general24.html

 受け入れられている経済学の古典派理論に対する私たちの批判は、その分析に論理的な誤りを見つけようとするものではありませんでした。むしろその暗黙の想定がほとんどまったく満たされておらず、結果として現実世界の問題を解決できないというのが批判の中身です。でも私たちの中央コントロールが、実際に可能な限り完全雇用に近い総産出量を確立するのに成功したとしても、その点から先になると、古典派理論は再び活躍するようになります。産出量が所与とすれば、つまり古典派の思考方式の外側で決まるとすれば、何を生産するか、それを生産するのに生産要素がどんな比率で組み合わさるか、最終製品の価値がその生産要素にどんな形で配分されるかについては、民間の自己利益をもとにした古典派分析に対して、何ら反対すべき理由はないのです。あるいは、倹約の問題に対して別の形で対応したとしても、完全競争や不完全競争などの条件下で、民間の利点と公共の利点をどれだけ一致させるかについては、現代古典派理論に対してまったく反対するものではありません。ですから消費性向と投資誘因の間での調整には中央のコントロールが必要ですが、その範囲を超えてまで以前より経済生活を社会化する理由はまったくありません。

ケインズを読まないケインズ主義者ねぇ。