竹中平蔵がそんなに間違っているか?

2ちゃんねるで検索しても、Twitterで検索しても、右も左もほとんどあらゆる立場の人たちから、「竹中平蔵は論外」といった意見が出てくることに驚いて、このところむしろ竹中平蔵の書いた本を読んでおります。
どこを見ても竹中批判が展開されているといった、皆の意見が一様に染まっている場合、それはプロパガンダに影響されて当人の意見を知らない状態である可能性が高いです。一時期のTPP騒動を想起いたします。
読んでみて思ったのは、「ところどころ賛成できない点はあるが、ほとんどは特におかしいと感じなかったな」ということです。私がこれまで参考にさせて頂いている経済学者の方々との距離は別に遠くない、つまり「常識的な見解である」という感想です。
竹中は、増税に基本的に反対だし*1、金融政策の意義を認めているし、経済弱者への再分配も否定していませんし、麻生について厳しく批判しています。
巷間なされている竹中への批判は事実に反するものが多く、西田昌司なんぞは「デフレの原因は竹中平蔵」などと無茶苦茶なことを発言しています。

この動画を見ると、西田昌司が誰とつながっているか、竹中批判をしている評論家が西田をはじめとして誰とつながっているか、愛国保守メディアの論調が西田とそっくりであること、などが理解できます。愛国保守を自称する人々は西田の主張をなぞっているだけであり、「安倍政権は新自由主義だ」といった馬鹿らしい非難が、どの辺からの差金で行われているかも推察できます。
ただ、読んでみて思ったのは、竹中平蔵が嫌われるのは「言わなくても良いことを言う」ことだろうということです。
例えば、「成功した人の足を引っ張らないようにしなくてはいけません」という発言は、経済学や経済政策とはあまり関係のない個人的価値観に過ぎません。
このような発言は、どのような立場の人からも感情的反発を受けるものですから、竹中の経済政策論がまともなものであったとしても、「あいつだけには反対しよう」という気を起こさせるものであって、まったく生産的ではないと思います。
竹中が嫌われるのは、政策論に問題があるというよりは人間的に嫌われているからではないでしょうか。
「成功している人云々…」という点について、むしろ政策に利用するべきだろうと私は思います。
竹中が批判してやまない規制に守られたレントシーカーは、世間的には非常に「成功」しているのですから、「何でお前らが不当に成功しているのだ」という非難を堂々と行えるようになり、その非難に対して世間も肯定的に反応するような理解を広めるべきでしょう。
レントシーカーに対する批判について、単なる嫉妬に基づくものだと腐す戦術をとる者が大勢いるのですから、嫉妬にも正当な嫉妬があるという認識を人々に持たせることが重要だと思います。

竹中平蔵さん「グローバル化を止めるのは途上国の人たちにおまえたちは豊かになるなと言ってるに等しい」 - 政経ch

*1:2014年の消費増税については結局腰砕けになったのがいただけませんが。