日銀が政策に干渉

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選挙で選ばれたわけでもない日銀総裁が政策に干渉しております。
電力会社を守ってやれ、原発を維持せよ、とどういう資格で注文をつけるのか知りませんが、国民の信託を得たわけでもない日銀総裁が「自分は偉いので何にでも口を出せる」とばかりに影響力を行使しています。
日銀はそもそも本来の仕事である金融政策をろくにやらないという批判がでており、そちらについても幾ら批判を浴びても態度を改めません。日本の金融政策の不適切によってデフレと円高が引き起こされていると言われて何年もたちますし、実際に日本経済のパフォーマンスは悪いのですが責任をとりませんし、感じることもなく、それどころか「政治が悪い」と言っているのです。言う資格ないのに。
こういう態度の人を扱う際に問題になるのは、日銀総裁が仕事をしない、ちゃんとした仕事ができない、という事が判明しても誰も解任できないという仕組みです。
仕事しろと言われてもやらず、仕事の結果が酷くても責任をとらず、上手くいかない方法を延々と繰り返し、分を越えた発言までしている。このような人が重要ポジションにいて多くの人に迷惑をかけているのに、我々の代表者の集まりである国会は日銀総裁を解任できないのです。日銀が何をやろうと、やるべきことをやらなかろうと、言いたい放題言っていようと何も出来ません。
国の重要機関が独善的になって政府の言うこときかず、国家に重大な被害を与えて責任すらとらない様子はまるで関東軍のようです。
戦前の日本の不備のひとつとして軍隊の統帥権が独立しており、政府・国会の統制に服さなかったのがあのような悲惨な戦争にいたってどんどん悪化の一途をたどることになった一因ですけれども、日銀の独立性も必要以上に保護されており似たような弊害を生んでいるようです。
中央銀行に独立性は必要ですけれども、責任を一切免除されているのは変ですね。
他の国でも中央銀行は独立していますが、金融政策の目標は国会が決める、パフォーマンスが悪ければ総裁に説明責任を負わせる、目標達成できなければ解任されることもある、という風に制限されています。それが常識的な制度でしょう。
日本のように、金融政策の目標も手段も日銀が決めて、うまくいかなくても誰も責任を問われず、総裁も解任されないというシステムは「退廃してください」と言っているようなものです。
日銀法の改正がのぞまれます。