在野の専門家の知識が反映されない社会

今の日本は政治・経済・社会環境に多くの問題を抱えていると思いますし、それらの多くは随分と前から指摘されているものでもあるのですが、一向に提言が反映されずにそのまんま、という現象が見られます。
日本は民主主義社会ですから理想を言えば国民がそれらを直接把握して世論形成や投票行動に活かすということになりますが、現実的に考えると無理でしょう。
社会に存在する問題は諸分野にわかれ、それぞれが非常に高度に専門的であり考えるべき分量も膨大なのですから、普通の生活をしている国民が把握するには時間・労力・能力の点で無理があります。
一つ、二つくらいの社会問題について詳しい人がいたら相当に関心が高い人でしょう。しかし民主主義で問題になるのは特別な関心事を持たない大多数の国民の動向なのですから、「特別な関心を社会に持つ。」という啓蒙は解決策にならないですね。
政治が代表者によって行われるべきなのは、社会が複雑になっていて素人ではとても妥当な判断ができないし、時間もとれっこないから、というのが一つの理由ですが、そうであるなら社会問題を評価して提言するのも専門家がやれば良いということになります。民主主義の建前からするとケシカラン考え方なのですが、現実的な道です。
現状の政治・経済・社会に問題があるのは、何かしらの専門家である政治家・政治家のブレーン・官僚などの動向のどこかが幾分間違っているからだ、という推測が成り立ちます。
それを評価して代替策を提言するのは政府と利害関係のない専門家が行い、それが採用されうるという仕組みが欲しいところです。
国民がそれら代替案を知る機会が自由に存在することも必要ですね。
今の状況ではメディアがその舞台になっていて、専門家は書籍・ラジオ・テレビ・ネットなどで提言しているわけですが、イマイチ一般国民に届かないですね。例えば円高の問題について日銀に批判的な意見が書籍・テレビ・ラジオ・ネットで割とさかんに語られているのに国民の間での認知度は今ひとつです。私がそう思うのは円高問題に関する記事2chtwitterで話題になる頻度が低いというのが一つの根拠です。なでしこや韓流批判も大事なんでしょうけれども、昨今の円高や東電救済法の問題は少し真面目に考察すると日本国の将来が真っ暗になりかねないような深刻な問題なのにほとんど話題にならないという事実があります。
メディアでいくら語る機会があったとしても、コミュニケーションが成立するには受け手の姿勢も大事なわけで、受け手がその話の重要性を認識しない、或いは面倒だからしたくないと思っていれば、いくらでも聞き流すことが出来てしまいます。ということは、メディアにそのある提言が登場する頻度が高いとしても一般に浸透するとは限らないということですね。これはメディアの姿勢や仕組みの問題というより日本人の心性の問題だと思うので解決は難しいと思います。
日本は自由な国ですから、メディアに出た内容を国民に押し付けることはできません。そして在野の専門家の提言を義務的に組み上げる仕組みもないのですから、これでは政府側の専門家である政治家・ブレーン・官僚が現に事実としてやっていることだけがまかり通り、それがおかしな事を引き起こしていても修正するルートがないということになってしまいます。
ちょっとくどいですが、本来的には選挙でそれを正せば良いのですし、そういう建前でこの社会は成り立っているのですが、「それは現実的には無理。」というのがこの話の趣旨です。
以上のように考えてきた私の願望は、「在野の専門家の提言を政府が義務的にとりあげる仕組みをつくるべき。」というものです。
取り上げたからと言って政策として採用する義務まで負わせるのは危険ですけれども、法的根拠のある仕組みを作れば社会を改善する代替案がメディアで言及される頻度と程度が跳ね上がりますし、「正式な制度である」ことは代替案に権威をもたせます。嫌な話ですが大多数の人々は内容より権威に説得されるものですから、カウンターパートにも権威付けしてあげることが日本では重要だと思います。(政治家、日銀などが例えば円高に対して表明した間違った思想、理論などが何となく受け入れられて問題視されないのは、「正式な立場からの意見である。」という認識、つまり権威を感じ取っている人が多いからだと思っています。)
こうすることによって立法・行政は国民の代表者と官僚が行い、その評価と修正案の提言も国民の代表者としての専門家が行うという形になります。
ただ、その専門家もやはり国民の投票で選ぶということになると政治の機能不全と同じ現象が起こってしまうかもしれませんね…
全国の専門家による推薦、なんて形をとるのは「手を突っ込んでくれ」と言っているようなものですから論外ですし…
なかなか難しいですけれども色々考えたいですね。