「良いこと」を実現する障害

「良いこと」というのはこの場合は「問題のある現状を改善するための非主流の提案。」という意味。
良いことをしようとする人々が大体いつの時代も弱いのは、「悪いこと」「主流」のまとまる原理が統一されているのに対して、統一することができないことだと思います。やろうと思えばできるのではなくてできないからだと思います。
「悪いこと」「主流」の統一に作用している原理は「得する」ということなので、簡潔・一般的・即効的です。
原発が儲かる」という事実は、小難しいことを説明されなくても誰にでもわかることなので簡潔だし、カネは誰でも欲しいので一般的だし、今カネが手に入ればその効用はすぐに現れるから即効的です。
このように単純で強い力をもつから世の中の主流なのであります。みんながあまり考えずにその単純で強い力に惹き寄せられているから色々問題が生じているという見方もできますね。他にもこういう見方ができる問題はたくさんあるでしょう。
世の主流をしめる物はなるべくしてそうなっているので、人々をまとめる力が強く、当事者自身がその利益をまもる目的や方法について自覚的です。
それに対して「良き代替」を提案する側は、その動機・目標・手段がバラバラです。「良き代替」は実現していない事柄ですからまだ想像の産物の段階だからでしょう。
よって、非主流の「良心的」人々は世に説明する時にちょっとこみいった理屈や世界観を述べなくてはなりませんから訴求力が弱い。「良き代替案」は普及前の案ですからコスト面では不利で、根本的にカネが儲からない面倒なものだったりもします。そして、「良き代替案」を実行したとしてもその効用が広く現れるのは10〜20年後だったりして実感がわきませんし、人間はすぐに得するものに強く惹かれるものですからその面でも人気がありません。(割引現在価値というヤツですかね。)
現状の問題点を解決しようという動きはこのように、関心をもって動いている人々も、関心を持たない世間の人々をも纏める力が弱いという宿命をもっていると思います。
良いことをやろうとしている人々が仲間割れして弱体化するという例は枚挙に暇がありませんしね。
かといって、方針をガチガチに固めるのも無理な話で、そんなことをしようとしたら纏める段階で決裂するか、無理にまとめてドグマになって別の問題をひきおこす原因になるだけでしょう。
この問題の解決策は根本的にはないと思いますが、「皆がよく考えるが、スルー力も同時に身につける。大目標を意識して。」ということになるのでしょう。これもまた啓蒙というか呼びかけの類に過ぎず、人の自発性に頼るという甚だ弱々しい案でしかありませんけれどもね。
原発の問題も最終的にはその国民の平均的賢さに依存すると思うので、日本人が必要な賢さをもっていなければ不適切な帰結になるだけでしょうし、それはどうにもならんですね。歴史的に見ればダメになった社会・国家は数多くあるわけで、日本だけ例外だと思うのは非合理的ですから。