ディベート力はホントは大事だと思うけど…

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ディベート力を磨くのは、話し合う気があるなら、そして話し合いで合理的に物事を決める気が当事者みんなにあるなら大事なんだと思いますし、私個人はそういうのが好きなんですけれども、世の中はそのようにまともに物事を決めるようにはなっていないので(^_^;)、結果的にディベート力は要らないということになっちゃいます。
根回しやウソや誤魔化しで自分の思い通りの事を実現しようとするのは別に政治家や官僚だけではなくて、世の中の大体どこでもやっていることなので重要なのは個人的関係とか裏の利害関係だったりしてしまい、ディベート力といった「まっとうな能力」はハナクソのように思われているのですよね。「成功するにはむしろそういう青臭いことをスルーする奴の方が有望」くらいの評価をしていますよ、世の「主流の人々」は。
もしこの文章を若い人が読んでいるなら世界に対する先入観を与えてしまうので良くないなぁ、自分で体験したり考えたりして学ぶべきだなぁと思いはしますが、まともに努力してもあまり意味ないというのも厳然たる事実なので、もしそういう真実に出くわした時にもガッツを喪失しないようにしていただきたいと思います。
世間では話し合いは決まったことの確認セレモニーとか一応やっとかないと不正がバレバレになってしまうので仕方なくやるパフォーマンスくらいにしか行われないことが多いのですよ。原子力安全委員会みたいなもんです。
ただ、そういう建前を整えることも日本社会では重要なことなので、実際にはディベート力が重要でないとしても、表面上は「ディベート力を磨きます、ディベート頑張ります。」とアホのフリをするというのが大事なんですね。ディベート力が大事でないとわかりつつも、その気配はおくびにも出さず、愚直にディベートに邁進するような空気の読める人材が求められているわけですね。で、その空気の読める人が寄り集まって良い待遇をうけながら原発を爆発させるとか、戦争でボコられるとかするのが日本の文化なのです。
まともに話し合いしていたらそんなことになるわけないでしょ(・∀・)