原発について意見を聴かない「代表者」

原発問題に関して奇妙なのは、政治家の多くが原発についてまともに議論しようとしたがらず、「原発有りき」でそそくさと結論を出したがっている事です。
耳をふさいで自分の言いたい事だけ言って立ち去る、といった印象です。
政治家は国民から選ばれて仕事をしている「代表者」なので自分の意見だけ押し通そうとすることを自戒しなくてはならない職業だと思うのですが。
たしか政党には国民の意見や利害をすいあげて政治に反映させるという機能があったと思うのですが、原発に対して政治家の多くは国民の意見など聞く必要はないとでもいいたげな態度です。何故でしょうね。
要る要らないの結論を述べる前に、「それでは国民の意見を聞いてみましょう。」という態度、手続きをとるほうが自然であるように思われるのですが。
しかし実際は「原発をテーマにした選挙はくだらない。」などと政治家が先回りして発言する始末。
選挙のテーマは選ばれる政治家が決めるのでしょうか?
違うでしょう、普通。政治家から提案されることも郵政選挙のようにありますけれども、投票ではその時国民の間で関心事になっていることが自然と争点になるのは当然です。それを前もって政治家が腐して潰しておくなんてのは出過ぎたマネです。その動機は何なのでしょう。
選挙を通じて原発の是非を国民に伺うのは民主社会ではむしろ普通かつ正当な事であって、異常なことのように印象づけようとする姿勢は変ですね。
大体、選挙で世論を観察せずにどうやって国民の意見を汲み取るのでしょうか。選挙がそのための本来的な手段であるのに、「それを使うな。」と選ばれる立場の政治家が言い出すという異常さ。その異常さに気づいていないのでしょうね。政治家は憲法を知らなくてもなれるのでしょうし、なってからも読んでもいない人が結構いると思います。
選挙をシングルイシューでするべきではない、というなら原発についての国民投票法を作ったらいいでしょう。国民の意見を聴く気が本当にあるなら。その結果に強制力をもたせるかどうかは別として(個人的には持たせれば良いと思いますが。)単一のテーマについて世論をキチンと知るのに良い方法だと私は思います。
その結果、仮に「原発事故で放射能を浴びてもいいから夏にクーラーを浴びたい。」という意見が多数派で原発が肯定されるなら、大手を振って原発推進したら良いのです。
私個人はそうなったとしても原発に反対ですから反対意見を言い続けますが、少なくとも国策として推進していく正統性は得られるでしょう。
それに、国民の多数派がはっきりと「原発の電気でクーラーが浴びたい。」と言っているなら、再度事故が発生したときにも政府や電力会社の社会的責任が軽くなりますし、賠償金額だって低くおさえてしまえるかもしれません。そうする根拠を国民が与えたことになるわけですから。
そう考えると、今のようにとにかく原発についての意見を封殺して、議論も回避して、維持・推進に盲進しようとする態度はますます不自然なものに感じられます。