菅首相が脱原発方針を明言


脱原発という、これまでの国策を転換する方針が示されたのは非常に珍しいことですね。
穏健な期間をおいての脱原発、という構想がこれから数十年の政治の中でどのように生きて影響を与えていくのかに長い関心を抱くことになると思います。与野党問わず、日本の方針を転換しようという提案がどのように保持されていくのかが大事なことです。反対する人々が大勢、しかも力をもって存在していることは明らかなわけですし。
原発を争点とした解散をしないとしても、国民が争点としなければならないことになったのだろうと思います。今回の脱原発方針表明をすべての政党が無視するとも思えないので、国民が自発的に関心をもってマニフェストを眺めれば自然とそれが投票の一つの基準となるでしょう。(マニフェスト化するのが共産党社会党だけだったりして(^_^;))
同時にそれは、原発というテーマを前にして日本国民がどれほど考えて判断しているのかを示す試験にもなります。そこで大した影響が観察されなければ政治家は「原発というテーマは票にならない。」と判断して没却していくようになり、結果として原発廃絶はウヤムヤになっていくでしょう。そうなったら後で何が起ころうと誰にも文句は言えません。それが民主社会における自己統治というものです。

政治家を機能として評価する視点

政治家の行った仕事について評価するのは元はといえば当然の話で、「人柄」や「印象」は本来は評価の対象ではありません。
ただ実際には世の中のどこでも同じですが、そういった表面的なことに基づいて人々は「判断」しています。そこにはあまりにも合理性の含有量が少ないのでやはり不適当な帰結が生み出されることが多いわけです。
そんな中、次のような意見があって参考になります。

電力会社、政界、官僚、マスコミの「電力権益」を壊すためためなら菅支持もアリ [2011年07月13日] 週刊プレイボーイ


…しかし、こんな四面楚歌の菅首相を「鼻をつまんで指示したい」と宣言する人がいる。作家の矢作俊彦氏だ。


再生可能エネルギー促進法案をぶち上げたり、浜岡原発の停止を決めたりと、菅首相脱原発を積極的に進めようとしている。だから、人気取りだろうが延命だろうが、それをやるというのならば、支持しようじゃないかということです」


確かに菅首相が、歴代総理が口に出せなかった脱原発を宣言し、原子力から再生可能エネルギーへのシフトを本気で実行しようとしているのは事実。矢作氏が続ける。


「菅は市民運動出身だから、脱原発というテーマになると燃える。だから、上手にくすぐって脱原発に猛進させればいいんです。その代わり、玄海原発を再稼働させたり、脱原発のトーンが弱くなれば、支持はしないという態度をとればいい。あくまでも、脱原発を掲げ、そっちへ顔を向けている間だけ応援するということです」


また、菅を首相の座に“しがみつかせる”ことで、政界に大きな地殻変動が起こる可能性があると矢作氏は言う。


「電力会社と政界と官僚、マスコミにまたがる『電力権益』側にとって、菅は人間爆弾のようなもの。実際、彼が浜岡原発に停止要請を出した直後に永田町が一斉に“菅降ろし”に走った。そこに因果関係がないわけがない。『電力権益』が焦ったということです」


矢作氏は菅首相の居座りを、「戦後の日本」というシステムに風穴を開けるチャンスと捉えるべきだと語る。


菅直人は20年以上前から再生可能エネルギーの普及を訴えていた。でも、首相になった途端、それを言わなくなった。権力の座を守るために『電力権益』側との衝突を避けたんですね。彼は実にずるく、権力維持のためならなんでもやる。たとえ彼が無能だとしても、そこは信じられる。彼がいること自体が『電力権益』の損失なら、いさせた方がいい。その損失は、われわれ市民の利益なんだから」


古い体制を壊すためにこそ、菅首相のしがみつきを支持するという矢作氏。そんな選択肢も“あり”かもしれない。

皮肉で身も蓋もない意見ですが^^;プラクティカルです。さすが気分はもう戦争

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他者を道具的にみる方法を「倫理的に」嫌う方も多いですが、このくらい醒めた見方をしないと合理的な判断は難しいということかもしれません。
そのくらい、この世は利害衝突とその調整でこんがらがっているのでしょう。
国民も戦術的に判断していくことが政治的な成熟につながっていくのだろうと思います。