陸奥宗光とその時代

陸奥宗光とその時代

陸奥宗光とその時代

陸奥宗光とその時代 (PHP文庫)

陸奥宗光とその時代 (PHP文庫)

サムライはやっぱり凄かったのではないか、と思わされる一冊。
まー、藩閥をやっていたのもサムライなので一概には言えませんけれども。
幕末〜日清戦争のあたりまでの日本の様子を外交を中心として概観できます。
ふりがなも多くて読みやすいですよ。

不平等の効用

読んでいて新鮮だったのはまず、江戸時代のような太平の世でも、武士の中には支配層としての矜持を250年ものあいだ保持した人々がいたのだな、ということ。
もちろん、維新を成し遂げた志士たちの多くは権力を握った途端に腐敗して藩閥になったわけですが、伊藤博文陸奥宗光小村寿太郎といった人々は、金がもうからなくても命が危なくても、強烈な使命感を持ったまま勉学や仕事に励んだのですね。
これにひきかえ明治生まれの太平洋戦争の指導層は…。
この辺に関わることで興味深いのは、大きな声では言えないことですけれども、四民平等・職業選択自由の世の中に生まれ育った者たちがどうしようもない出世主義にとりつかれていたのに対して、階級社会で支配層に生まれ育った人々は出世の方策を確保しつつも、純然たる愛国心と国家運営の知恵を持っていたという事実なんですね。
平等の世の中だと誰でも出世の可能性があるが故に出世が目的の人生になってしまいますが、階級社会で支配層に生まれつくと、ある程度の身分が与えられるのが前提なので出世を手段と見なす余裕があるということですね。
そして支配層として持つべき美徳を教育されるのですから、出世のために美徳もへったくれもなく生きる人々とは見識が大きく違ってしまうのも当然です。
階級社会で上層に生まれついたなら、刻苦勉励して見識を身につければ、生まれながらの約束として、その見識を発揮する場を与えられるわけです。
それに対して平等の世の中だと、見識を身につけたとしても、とにかく先に出世しないと発揮の場がないのですから、全てに出世が優先してしまうのも仕方のないことではあります。
出世のプロセスでろくでもない競争相手とろくでもない争いを延々と続けるうちに、社会や国家への使命感が摩滅してしまうとしても責められない気もします。
他人はクズだ、と確信した人が世のため人のために働くはずがありません。
平等なのは基本的には良いのですが、欠点もあるのでそれを直視してフォローしなければならないということでしょう。
教育の場では特に注意するべき部分だと思うので、「不平等なのが良い結果を生むこともある」という嫌な事実を多くの人が考えるようになってほしい所です。

大名たちの「愛国心

廃藩置県は、大名たちが反乱を起こさずに領地と地位を捨てて、下級武士たちが作った新政府に従ったという驚くべき偉業であることなど今の教科書で学んでもぜーんぜん理解できないという点で今の教育は駄目だと思います。
愚痴はともかく、廃藩置県に関して驚くのは、それを成功させた背景には大名たちの「愛国心」があったということです。
ここは非常に意外でありました。
大名たちは関が原の結果で徳川に臣従したにすぎず、各地方でばらばらのアイデンティティを持ち続けているだけで、日本全体に責任を感じていたのではないだろうというのが、これまでの私のイメージでしたから。
平和な世の中になったことで全国規模の文化・経済上の交流が江戸時代にはできるようになっていましたから、それが大名たちに、自分の領国だけでなく日本全体を意識するようにさせたのかもしれません。
参勤交代でいろんな藩を通過して江戸との間を行き来することを繰り返したのも、案外良い制度だったのかもしれません。