沖縄戦資料室を強化

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200712261300_04.html

内閣府が所管する「沖縄戦関係資料閲覧室」(東京都港区)の機能を強化する方針を明らかにした。

 内閣府によると、同閲覧室が所蔵している沖縄戦に関する公文書約一千二百九十点をインターネットで閲覧できるよう、関係経費千九百万円を二〇〇八年度予算に計上した。

検定の修正が行われたもともとのきっかけは、事実をあげて修正をせまるというものではなくて、単に集団の圧力でもって事実上修正をせざるを得なくなったというものなのですから、建前的には不当なんですけど、現実にはこういうこともあるよ、ってことで。
日本人同士の反目が深まっても損するだけなので、今回みたいな足して2で割るような結論の出し方も仕方ないのか、とか。
ただ、そういうやり方で戦前の日本軍が失敗を重ねたという書物を読んでいる最中なので、やっぱり良くないのかな、とか。
基本的に原則をないがしろにする文化を捨てるべきなんですけど、急には無理だからだんだんとやっていこうよ、とか。

民主的だから良いわけではない

集団の圧力で教科書の内容を変えさせるというやり方自体が、それほど世間で批判されていないのは、なんとなく「大勢が言っているなら民主的」という感覚があるからなんでしょう。
しかし、民主的であることと正しいということは関係がなく、単に大勢が言っているから無視できないという現実的な事情があるだけだということは指摘する必要があるのでは。

論争は悪いことではない

歴史に関して意見が分かれるのは普通のことでして、異論を認めないのは「日本軍の残虐行為」を糾弾するとか、「平和がいいに決まってる」とか言う人たちの特徴に過ぎません。
沖縄戦で多くの人が亡くなったのは事実ですし、沖縄戦のやり方が褒められたもんではないのも色んな書物で言及されている所ですが、それをもってなんでもかんでも突破しようとするのは、方法として良くないでしょう。
歴史に関してさまざまな意見が出てくると「歴史修正主義」というレッテルを貼って、反対者の口をふさごうとするのは左翼の習い性ですけれども、そういう言説に正義を見出しいていると必ず騙されますので注意しましょう。