二十世紀日本の戦争

読書ノート

P38 第一次世界大戦において
…めざましい対潜水艦戦を自ら実行しておきながら、通商破壊において潜水艦がきわめて重要な役割をはたすから、対米戦を考えるなら、航空よりも対潜戦略が死命を制することになるという教訓を、日本海軍は全く学んでいないんです。

P40
日本の場合は、軍人ではなく、本来国家戦略だとか、戦争全体の運営といった、より根本的な問題に興味を持つべき政治家や知識人が、「戦争は軍人の仕事」という旧思考にひたったままで、「歴史としての第一次世界大戦」を通過しなかったんですね。

P45
第一次世界大戦は、第二次世界大戦で日本がいまだに非難されているような失敗とか、ひどい非人間的な支配だとか、ペテンの大本営発表だとかの先例がすべて出揃った戦争でもある。なかでも重要なことは、連合国や民主主義の国でさえ、赤紙一枚でいくらでも召集できるので、兵隊の命を実に粗末に扱ったことです。

P78
昭和の始まりを画した「満州某重大事件」(張作霖爆殺)が、田中義一内閣のうやむやな処分で終わったことは、日本政治史の大きなターニング・ポイントだったと思います…クーデターをやろうとする流れが、これ以後、恒常化してしまう。
あのとき、内大臣牧野伸顕は、満州某重大事件に関与した軍人を厳しく罰しなくてはならないと言うのですが、この牧野の進言を抑えたのが、誰あろう当時、元老として政界に隠然たる影響力をふるっていた西園寺公望です。
…さらにいえば、最初、「わしの目の玉の黒いうちは、断じてうやむやにはさせない」と息巻いていたのは西園寺なんですよ。ところが途中から腰砕けになった。
この理由をずっと一九四五(昭和二十)年まで見渡してみますと、要するにテロの脅威なんですね。

P103
一九三五年(昭和10)年、イギリスから対中国経済使節リース・ロスが来日して、日本側に借款の話を提案します。リース・ロスは、イギリスが金を出している中国の幣制改革に、日本からも資金を出せというわけです。引き換えにイギリスが満州国を承認してもいいという含みがあったんですね。たとえアメリカが承認しなくても、また中国が承認しなくても、イギリスが満州国を承認するというのは日本にとって実に大きな意味があった。それを結局、広田弘毅外相が陸軍の「シナ屋」との関係で蹴ってしまう。
幣制改革にイギリスが単独で金を出すというのは、蒋介石を完全にイギリスの側に追いやることになった。このときが日本が蒋介石を評価しなおすチャンスでした。広田の責任は重い。